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『演劇タイムズ〜ニッポンの演劇はどう変わる?〜』より転載


〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
    あらためて、「総合」に演劇・表現を!
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「総合的な学習の時間」が採り入れられて、小・中学校では5年、高校では4年経った。

ほかの教科と違って教科書がない中で、それぞれの学校では教師たちが研究や創意工夫を続け、試行錯誤を繰り返しながら、
日々の授業を行っている。

しかし、依然として、その負担感を拭いきれないという声も聞こえる。さらには、生徒たちの学力低下論が、その論拠に疑問を
指摘されながらも印象として語られ、対策として他の教科の授業時間を増やすために「総合」の時間を減らすという案も浮かび上がっている。

では、「総合的な学習の時間」について、そもそもなぜ、どんな目的で、どのような学習を行おうとするのか?文部科学省は
どう言っているかを、あらためて確かめてみよう。

■「総合的な学習の時間」とは…

 ・  「生きる力」の育成を目指し、各学校が創意工夫を生かして、これまでの教科の枠を超えた学習地域や学校、子どもたちの実態に応じ、
  学校が創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間。

 ・  国際理解、情報、環境、福祉・健康など従来の教科をまたがるような課題に関する学習を行える時間。

■ねらいは…

 ・ 自ら学び、自ら考える力の育成。
 ・  学び方や調べ方を身につけること。

■特色は…

 ・ 学校が創意工夫を発揮して行う体験的な学習や問題解決的な学習。(教科書はない)
 ・  異年齢集団による学習や地域の人々の参加による学習、地域の自然や施設を生かした学習。

導入時に、文部科学省が「国際理解」など4つの分野を例として示したことによって、テーマをそれらにおく学校は多い。

しかし、今日の「子どもたちの実態」を思えば、「表現とコミュニケーション」こそが最優先的な課題であると考え、それをテーマにした
授業に取り組んでいる学校も決して少なくない。この間、この連載でも「表現とコミュニケーション」に関する取り組みの実践を
紹介してきたように、全国で数多くの実践が報告・紹介されてきている。

コミュニケーション・ゲームを含む身体(音声)の表現や演劇の活動が、いきいきとした人間関係を育んでいる現場があちこちにあるのだ。

3月2日、東京・世田谷区立奥沢中学校1年生による「職場体験・働く人を見つめる」発表会が行われた。世田谷パブリックシアター
学芸部が協力して行った授業である。

この学校では、国語の総合単元「働く人を見つめる」を、学級活動、総合的な学習の時間も活用して取り組んできた。その授業の
まとめとして、生徒たちがさまざまな表現方法を駆使して発表した。

16のグループに分かれ、地元のブティックやケーキ屋さん、図書館や大学の研究室、幼稚園や番組制作会社などを訪ねて話を聞き、
それをグループごとに発表するというもの。口頭、映像、劇、人形劇、インタビューに応じてくれた人になりきって再現して見せるなど、
多様なパフォーマンスに笑いが起こったり、しんみりと聞き入ったりと、午前・午後4時間にもおよぶ発表会は、みんなの集中が
最後まで切れない。

この発表には、生徒たちと訪問先のおとなたち、表現を工夫する生徒たちとアドバイスをする教師や世田谷パブリックシアター学芸部の
メンバー、そして、発表する人たちと見ている人たち(友だち、家族、街のおとなたち、他校の教師たち)、これら相互の間にコミュニケーションの
空気が生まれているのだ。

このような学びがいかに楽しく、充実感があるか、生徒たちの表情が教えてくれる。その楽しさ・喜びが、さらに意欲を触発するのだ。
そういう学びの意欲を抑えるような、競争と序列化の刺激による学力向上なら、子どもたちの「生きる力」にはならないだろう。
自分自身が発見し、納得したものこそ、「知」の栄養として蓄積されるのだろう。

演劇、あるいは表現活動は、「総合的な学習の時間」の内であれ外であれ、もっともっと必要だということが、いっそう認識されていく
ことを望んでいる。

※奥沢中学校のこれまでの事例は、『演劇と教育』2005年7月号の星陽子、すずきこーたの報告に詳しい。
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
   文化祭で学年・学級の劇がいっぱい〜練馬区立北町中学校(東京)
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昨秋、「輝け命、思いを絆に。みんなでつなごう never end」をスローガンに掲げて行われた東京・練馬区立北町中学校の文化祭では、
数多くの劇が上演された。

1年生、2年生がそれぞれの「学年」として発表、3年生は4学級がそれぞれ上演、計6本の劇が上演されたのである。

第48回を迎えた今年度の文化祭では、ほかにギター部、吹奏楽部、日本舞踊部の発表があった。さらに、後日開催された第57回
練馬区中学校連合演劇発表会には、2年生の劇が再演された。演劇部の劇が集まるこの発表会では、一般生徒の上演は稀な例である。

さて、「学力低下」や「授業時間の確保」などの声に圧されて、文化祭そのものを取り止めにしたり、規模を縮小したりする学校が
多くなっている今日、この学校ではこんなに演劇がさかんな文化祭が、なぜ行われているのだろうか?

北町中学校では「総合的な学習の時間」の意義が明確に示されている。4〜5年前に、「職業体験」への取り組みから始まった。
中学生が自分の生き方や将来を考える第一歩として身近な職場や仕事を体験してみようというのである。そしてその後、「生きる・生命」を
学校全体のテーマに決め、2学期の「総合」の時間は、テーマに沿って各学年で学級劇や学年劇に取り組んだのである。

しかし、この劇が質を伴わない、浅く形だけのものに終わっては意味がない。ややもすれば、劇活動や文化祭そのものが敬遠されるのは、
ただ騒々しく落ち着きのない空気が教室(学校)を席捲してしまうのではないかという懸念である。まして進路に向かって落ち着かなければ
ならない3年生がこの時期に……。よく聞く声である。

北町中では、学校の教育目標として「5つの柱」(体験と感動、日本語(言葉)を大切にする、ほか)を掲げて、この劇活動には校長みずから
先導的な役割を担った。『裁かれるものは……』『セレクト・ライフ』など、優れた創作脚本を数多く発表している深澤直樹
(ふかさわ・なおき)さんである。中学生に、同時代に生きるおとな(教師)からの真摯なメッセージを贈り続け、これらの作品は、
全国の多くの学校などで上演されてきている。その校長がまず、演劇について、学級や学年での劇づくりについて、全生徒に
直接語りかける授業をもつのだ。そのうえで各学年・学級の劇づくりは行われた。

・1年生『チキチキ☆チキンハート』(山崎伊知郎作)
 飼育委員会廃止? 鶏たちはどうなるの? ある晩、男がひよこを盗みに入 る。なぜ?必死に守ろうとする親鶏。真相が判って
 飼育委員会の生徒たちが動く。
・2年生『長袖の夏〜ヒロシマ』(小野川洲雄作)
 夏でも長袖という規則の中学校。なぜ? 廃止運動に走る生徒会役員が知った「理由」に、今日の中学生があらためてヒロシマを考える。
・3年1組『Alice〜世界がアリスの夢だったら』(西本綾子作)
 「眠り病」に罹った姉を、白兎に誘われて迷い込んだ少女は、姉を夢の世界から連れ戻し、厳しくも負けずに現実の世界で生きようと励ます。
・3年2組『OFF』(大田直岳作、山本直子補作)
 父の会社の倒産、母の自殺。現実から逃げようとする少年が不思議な少女との出会いと体験によって、幸せとは何かを考え、大切な人は
 心の中でも生き続けることを知る。
・3年3組『ホームステイ〜カラフルより〜』(松林陽子作)
 過ちを犯して死んだ「僕」が、天使から下界での再挑戦を命じられる。しかしそれは、自殺した少年の体を借りて過ごすこと。でもどうやって
 生きることができるの?
・3年4組『墓地物語〜夏の終わりに〜』(新海貴子作)
 空襲と事故で死んだ二人の少女が眠る墓地。そこに自殺を図る「小百合」が現れる。小百合は無念の死を遂げた少女に生きる命を
 託されるが、事故に遭ってしまう。

これら、生徒たちが話し合い、考え、選んだ脚本。通底しているテーマはもちろん「生きる・生命」である。文化祭でこれらの舞台を観た
生徒たちはまた考える− 。

総合学習としての演劇の意義が明瞭に表れた北町中学校の取り組みは貴重な例である。全国の中学校の励みにもなることである。
北町中ではこのほかに、今年度はプロの劇団を招いての演劇鑑賞教室(全校)、劇場に出向いての舞台鑑賞(3年生)も行っている。
子どもたちにとって、学校生活で得られる学びの楽しみは、このような活動をとおしてであることを、教育に携わる人や親たちにあらた
めて知ってもらいたいと、つくづく思う。
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
   実演家と教師・連携が生んだ総合的な学習〜東京・足立区 弘道小学校 後編
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弘道小学校では、教員と演劇人が事前にも途中にも事後にも直接話し合いを持って、総合的な学習の時間を進めていた。
この授業のコーディネート役である芸団協の米屋さんは「先生と一緒に授業をつくりたい」、劇団青年座の俳優・藤井さんも
「先生との共同授業という考えで臨む」、そして担任の西さんは「演劇的手法がツールとして使えるか」を検証したいと、
3者の考えをすりあわせていた。

3人は、授業を始める前、8月に地元の古老を訪ね、地域の歴史や風土、子どもの頃の暮らしや遊びについていろいろ話を聞いている。
これは実際に授業を行う上で大変貴重であった。学校に見学や授業に訪れる場合、たとえ短時間でも事前に学区域を散策しておくことは
意義がある。さらに藤井さんは、社会科の教科書や地域に関する本を読むなど、下調べを怠らなかった。

また、子どもたちはみんながみんな演劇の授業を待ち焦がれているわけではない。やりたくない、やらされたくないと思っている子も
いるかもしれない。そのことに想いをやる謙虚さ、想像力は絶対不可欠である。結果として、そういう子どももいつのまにか積極的に参加し、
晴れやかな表情に変わっている……。それが見られれば成功である。

そのためにも、表現する雰囲気を教室に、子どもたちに、日常的につくっておくことが教師に担わされた役目である。
西さんが、4月から身体表現のさまざまなエクササイズで、子どもたちの身体と心を耕していたのも、授業の成果をあげたに違いない。
内気な子も臆せず参加できたり、言葉が苦手な子が言葉に頼らない表現でいきいきとしたり、というのも、
それが下地になっていたことが想像できる。

一連の授業を通して、藤井さんは、いろいろな分野で演劇・表現の授業が活かされるのではないか、「実感が心に火を点ける」ことがあり、
子どもたちの学習や創造の意欲、自信、生きていく勇気などを触発する可能性を言う。

米屋さんは、実演家が学校に入る意義について、「学校教育に風を吹かせる」ことができるのではないかと希望を語る。
そして、「先生と一緒につくりたい」と再三述べていられたが、学校や教師の駄目さ加減を言い募って胸を張るのではないその姿勢がうれしい。
したがって教師がその場でどんな役割を果たしたらよいか、ぜひそれも話し合っておきたい。

西さんは、こういう授業の「次は教師の役割・仕事かな」と言う。ゲスト・ティーチャーに任せきりにせず、それを生かせるかどうかは
教師自身に関わっているというのである。

1時間の授業についても、またこれからの学校教育のありようとしても、この言葉が生きると思う。演劇人による子どもたちへの
直接の指導は当分まだまだ盛んになっていくと思われるが、近い将来、たくさんの事例をていねいに総括してみる時がくるだろう。
その時、子どもたちへの直接の指導はやはり「教師の役割・教師の仕事」、と位置づけられるのではないかという気もする。

そのためにも、教師自身が演劇人に学ぶ体験、また教員になろうという学生には演劇体験や表現のセンスが必要だと思っている。
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
実演家と教師・連携が生んだ総合的な学習〜東京・足立区 弘道小学校 前編
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演劇人が学校に入って子どもたちを直接指導する「授業としての演劇」は、あちこちに増え ている。

芸能実演家団体協議会(芸団協)が「実演家よ、学校へ行こう!」と、演劇や音楽な どの専門家が授業を行うことを積極的に
すすめていることも、それらの流れをつくっている。 学校の側も地域にある貴重な教育資源としての「人」を活かすという考えから、
地元の古老 やその道の専門家を招いて子どもたちが直接学ぶ場をつくっている。NHKのテレビ番組 「課外授業ようこそ先輩」なども、
刺激やヒントになったのだろう。 これらの授業は、「総合的な学習」の時間を活用して行われる場合が多い。

芸団協が 「表 現教育指導者− 実演家と教師の授業づくりプロジェクト」の一環として10月27日に開いた 「フォローアップ研究会」で、
実践研究の対象になった東京・足立区の小学校の場合もそう である。

弘道小学校3年生の「総合的な学習」の時間。10月の1か月の間、5回にわたって訪れたの は俳優・藤井佳代子さん(劇団青年座)。
担任との共同授業として行われた。

担任の西和昌 さんは、地域の歴史や地理を学び将来を考える授業に、この企画を取り入れ、もう一人の 同学年担任・南さんとともに
次のような目標を決めた。

1時限目:遊びの要素を取り入れるころで、心と体を開放する。言葉によらない他者とのコミュニケーション。
2時限目:集中することで、見る聞く感じるといった個々の力をアップさせる。仲間の表現を感じ、模倣することで、集中力をつける。
3時限目:フリーズ、空間把握。グループで表現する。二次元の空間表現をするので、まずはストップモーション、空間把握が
できるようにする。
4時限目:地域の民話を追体験するための準備として、感覚を養う。色々な物になって感じる→立体表現。
5時限目:地域の民話を追体験することで、昔の人の心を知る。 最終的には、藤井さんが再話した地元の伝説「槐戸(さいかちど)地ぞう」
の話を、子どもた ちが五感をはたらかせて感じとるをめざす授業である。

ところで、小学校で5回の授業。この回数については、とくに根拠のある数ではなかったが、 ゲストとしての1回こっきりの授業では
日常のなかに関われず、それほど効果を期待できな いと言う(芸団協・米屋尚子さん)。 が、西さんは、この学習単元では適切だった、
ただ、別の単元では年間を通して行うことも 考えられるのではないかと言う。また、同じ5回にしてもどのくらいの間隔、期間で行ったら
いいのかも考えなければならない。 藤井さんは、身体の感覚としては集中して経験したほうがいい、この単元では5回が適当だ ったと言う。

このように、教員と演劇人が、事前にも途中にも事後にも直接話し合いをもって進めること が、せっかくの機会を生かすことになる。
この学校のようにコーディネート役がいる場合はも ちろん3者で。米屋さんは「先生と一緒に授業をつくりたい」、藤井さんも
「先生との共同授 業という考えで臨む」、そして西さんは「演劇的手法がツールとして使えるか」を検証したい と、3者の考えを
すりあわせていた。

次回は、この3者がどのような打ち合わせや下準備をしていたのかを具体的にご紹介したい。 どうぞお楽しみに!
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
ふるさと−生き方−共生をテーマに創作劇〜山梨県南アルプス市立櫛形中学校
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山梨県南アルプス市立櫛形中学校は全校生徒数およそ650名の学校である。2003年度、3年生は「総合的な学習」の時間の年間テーマを
「共生」と決め、卒業式を最後の授業と位置づけて、学習を進めてきた。

4〜6月は「ふるさと」について学ぶ。7〜9月は「生き方」を考える授業で、ゲスト講師も迎えて講話とワークショップで進める。

そして10〜12月に「共生A」の学びとなる。ここでは学級の枠を取り払い、一人一人の興味・関心を引き出したり伸ばしたりできるよう、
ゼミ方式を採る。生徒たちは、課題研究または表現活動の合わせて11設けられたゼミのどれかに参加した。

課題研究は、1)環境1(エネルギー問題)、2)環境2(桧の効用)、3)福祉、4)平和、5)命、6)スポーツと生き方。表現活動は、
自分を開放する、想像力を鍛える、他者を生きる、仲間とともに一つのものを創る、自分を表現する、というねらいのもとに、
7)生活の文化、8)イラスト、9)オペレッタ、10)演劇、11)木工制作。

ここまで進んできて3学期の「共生B」につなげる。卒業式第2部として、義務教育9年間の学びと成長の証を発表、将来に向かって
生き方を宣言するという中学生活最後の舞台に向けての授業である。

ところで、昨今の「学力低下論」に押されるように、「総合的な学習」の時間は旗色が悪い。文部科学省は学習指導要領の次期改訂で、
現在小・中学校週3時間のこの時間を減らす方向で検討しているという。なかでも、中学校での評判が良くない。担任の6割が
 「なくした方がよい」と回答しているという(朝日新聞9月3日など)。

しかし、これまでこの連載で紹介している学校のように、積極的にこの時間を活かし、子どもたちの学びの意欲や創造の楽しみ・喜びを
触発している例も、全国に数限りなくあるに違いない。

櫛形中学校の場合も、明確な目標を掲げ、緻密な計画を立て、指導に工夫をこらし、教職員の理解を共通にしながら、
授業を進めていることがわかる。

それは、「広い領域の中から選択ができ、できるだけひとりひとりに応じた学習ができるように」「学んだことを他者に向かって語りかける、
話しかける、働きかけることを取り入れた学習」としてゼミ方式で進める授業である。

この方式の「総合的な学習」の時間は、教師が自分の専門性や得意な分野を活かすことができるという利点もある。
演劇に取り組んだ国語科教員の望月理子さんは、演劇や表現についての研修を積んできた。そして学校では、地元で
「舞踊資源研究所」を主宰する舞踏家の田中泯さんを招いて体験講座を開いたり、「選択国語」の授業で朗読や劇に取り組むなど、
表現の意義や楽しさを生徒たちにいっぱい体験させ、味わわせててやりたいと考えている。

さて、この年も1学期の「生き方」を考える授業では劇作家の水木亮さんのワークショップ(声を届けるレッスン)を行った。
そうして「共生A」のゼミとして創作劇に取り組んだのである。

創作劇『せとじゅうさん伝説』は、4月から展開してきた「ふるさと」「生き方」の学びを発展・深化させ、「共生」をテーマに創った劇である。

− 地元に「瀬戸地蔵」と呼ばれるお地蔵さんがある。昭和の初め、瀬戸重さんという不思議な男がいた。村に葬式があると、
お坊さんでもないのにそこここに現れてはお経をりっぱに唱える。読経がすむと台所に行って、頭陀袋から茶碗と箸と弁当箱を取り出し、
食を乞う。着たきり雀に頭陀袋の瀬戸重さんは、時に子どもたちにからかわれながらも、みなし児におにぎりをやるなど、どこか
親しみや人懐こさを感じさせるのだ。

かつての村にはどこにでも瀬戸重さんのような人はいたのではないだろうか。どこに住んでいるのか定かでないような、
なのに農家や町の商店に出没しては仕事を手伝い、どうやらそれで口を凌いでいるような。世間の常識や体裁を超越した存在。
しかし決して排除されることなく共同体のなかに確かに生きている。

「ふるさと−生き方−共生」と筋の通った総合学習である。3年生の担任たちは、共生をテーマにしたことについて次のような
意味づけを行っている。

− ひとりひとりが個として自立し、しかも人(他者)と共に生きるという思想。異質な他者との出会いを通して、自分の世界を広げ、
解決困難な諸問題をみんなで共に考えていこうとする気持ち、他者と連帯するために積極的に自分を表現したり、
情報を発信しようとする意欲等を育てるため……。

この創作劇の体験は、自分とは異質と思えるような他者の存在について、からだで表現した分、道徳や心がけ以上に理解し
納得できる可能性をもっている。そして、劇の上演など各ゼミの学びを学年発表会でみんなに見て(聞いて)もらったことは
生徒の自信になり、鑑賞した生徒たちを刺激し、それが卒業式第2部の豊かな表現(合唱や群読)を生んだのだと、教師たち
は見ている。

教科の枠を取り外し、頭と体を縦横に展開させて行う総合学習。知的好奇心をみなぎらせ、いきいきと学習に臨む姿が目に
浮かぶようである。
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
   全校で取り組むドラマ教育〜西東京市立中原小学校〜(後編)
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「特色ある学校づくり」として、《生活・総合的な学習の時間を中心とした「生きる力」を引き出すドラマ教育》をテーマに、
全学年が年間を通してそれぞれのプランを立て、表現遊びや演劇などの表現活動を展開している西東京市立中原小学校。
(各学年の年間プログラムは前回参照)

今全校で展開しているこの授業を「ドラマ教育」と呼んでいる。演劇教育と言わず、ドラマ教育と名付けているのは、一般には
「演劇=舞台での上演」という図式がイメージされるが、それには捉われない活動だからである。からだや声(ことば)そのものの
表現を楽しみながら、自分の個性や良さに気づき、友だちとの関係を創っていくことをねらいとして、さまざまな表現あそびや
コミュニケーション・ゲームを行う。もちろん、一つの劇を創ってお互いに見せ合うというところまでいくこともある。

「舞台での上演」となると、一つの劇を創り上げなければならず、出来映えにも負担を感じるという教師もいる。しかし、
「ドラマ教育」ではあまり感じられない。教員自身がそのおもしろさや意義を感じてみようと、4月、新任教員を迎えた職員会の
はじめに、 「自己紹介」をやってみた。子どもたちの年間授業のはじめにも計画している「自己紹介」を教師たち全員でやって、
硬い雰囲気をほぐすのだ。

椅子をまるく並べる/自己紹介1周目=名前を言って隣の人にアイ・コンタクト(どうぞ)/2週目=前の人の目を見、
それから自分の名前を言う(〇〇さんの隣の△△です)/3週目=名前を言ったら「好きな物」をひとつ言い足す……
といった具合。

子どもたちの最初の時間では、この後「好きな物(食物、色、教科、動物、など)」で集まったり、それを他のグループに
当てさせるゲームにしたりしている。「自己紹介して仲良くなろう!」という目標である。

舞台での上演をめざす劇づくりでも、いきなり脚本を与えて役をふり、せりふを覚えてきて…というようなやり方はしない。
次のような流れである。

1 ウォーミング・アップ……心身の解放をめざして遊びやゲームから入る。
2・劇あそび……あらすじや役の確認だけして子どもたちの主体的な遊びを見守る。教師は叱らない、誉めない。
 ・即興劇……相手の動作や言葉を注意深く見聞きし、「生きた反応」をするようアドバイスする。
3 人物づくり(役の理解)、「群衆」場面のたいせつさの理解……配役は急がない。やってみたいと思う役をやってみる。
  役になって「自己紹介」をしたり他の子たちからの質問を受けたり(役の「記者会見」)する。
  また、せりふのない役でもその場に必要な存在ということを理解するため、「群衆」場面をみんなでやって主体的に
  反応することを実感してみる。

『チャレンジフェスティバル』と題した創作劇(神尾タマ子作)の場合。お手玉、なわとび、剣玉、フラフープ、ボールなどを
脚本に盛り込んだ舞台である。これは、3年生3学級が「総合的な学習の時間」に、<名人にチャレンジ>と称して
いろいろな遊び・表現に取り組み、一人一人が練習に励んだ子どもたちの姿勢や成果を、劇として表現しようとしたものである。

劇の題名や内容も子どものアイデアを募る。子どもたちは配役が決められる前に、自分がやってみたい役をやってみた後で
希望の役を三つ書く。それを担任3人で調整するのだが、こういうやり方にも、子どもたちが主体的、意識的に自分の思いや
考えを人にしっかり伝えられるように、という教師の願いが込められている。

ところで、このようなこの学校のドラマ教育の推進役を果たしている神尾タマ子さんは、これまで長い間、勤務のかたわら
アマチュア劇団に所属して舞台に立ったり、研修生としてプロ劇団に通って演劇を学んできた。
日本演劇教育連盟では「演劇と教育」の関係や意義について実践を通して研究を進めてきた。そういう実績が同僚教員の
信頼を得ている。

演劇人や劇団との交流も積極的に提案し、実行している。ゲスト・ティーチャーとして迎えた「プレイバック・シアター」も
参考になった。子どもたちそれぞれが語る思いや悩みを、ほかの子どもたちが聞いて、それを演じて見せる。

思いや悩みを語った子どもは、友だちが演じてくれた即興の表現を見て、自分の気持ちを対象化し、落ち着くのだ。
演劇鑑賞教室も開いている。子どもたちの創造的な気持ちを掻き立てるようなすぐれたプロの舞台を観ることもたいせつな教育だ。

観ること演じること、劇から学ぶものは大きい。「生きる力」につながる。そういう教育を全校で協力して実践している
中原小学校に学ぶものは大きい。

〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
   全校で取り組むドラマ教育〜西東京市立中原小学校〜(前編)
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今、全国で公立の学校は「特色ある学校づくり」ということを盛んに言われている。日本劇作家協会の協力を得て演劇の
授業を年間を通して行っている東京・杉並区立富士見丘小学校の例もその流れの中にあるが、とにかく「学校の特色」を
示そうと、どこでも苦心している様相が見える。

西東京市立中原小学校では、2005(平成17)年度、《生活・総合的な学習の時間を中心とした「生きる力」を引き出すドラマ教育》を
テーマに、年間を通して表現遊びや演劇などの表現活動を展開してきた。学校は今、外からの要求や規則が多く、教師は
決められたことをやらせなければ…、子どもはやらされる!といった気分が蔓延し、子どもといわず教師といわず疲労感が強い。

そんななかで掲げたこのテーマとその下での活動は、友だちと関わり楽しみながら学びを実感する「授業」として、子どもにも
教師にも好感をもって進められた。

そこで、今年度もこのテーマを継続することになった。低学年は週3時間の生活科、中・高学年は同じく週3時間の「総合的な
学習」の時間を、主に利用して行う。

授業は、全学年に共通する学期ごとの目標を立て、一つ一つの活動(授業ごと)の主旨を明確にし、それに沿って各学年の
プログラムが計画されている。(下記のプログラムは各学年の例)

■1学期「自分を素直に表現する・友達の輪を広げる」
 出会い/自己紹介/集団ゲーム/コミュニケーションゲーム/表現遊び
[低学年]10人握手、ジャンケン列車、変身花いちもんめ、劇遊び「大きなかぶ」
[中学年]こんにちはリレー、動物の会話、ジェスチャークイズ、ことば遊び
[高学年]バースデーライン、携帯電話ごっこ、ほめことばのプレゼント、音の物語

■2学期「表現力を伸ばす・豊かな思いを言葉にのせて」
 体ほぐし/信頼/マイム/即興/人間関係を豊かにする
[低学年]ムーブメント、背のせ、秋のはっぱで変身!、劇遊び、自分を好きになる
[中学年]背中あわせ、立体絵はがき、体験を寸劇に、友達の良さを見つける
[高学年]手裏剣合戦、振り子、人間彫刻家、題をもとに寸劇を、思いやる心を育てる

■3学期「みんなで創作する・学年のまとめ」
 お話を創る/楽しい集会を企画する/まとめ
[低学年]小さいころの自分に変身!、大きくなったね発表会、6年生を送る会
[中学年]紙芝居をつくる、2分の1成人式、6年生を送る会
[高学年]テレビ番組をつくろう、6年生を送る会、卒業を祝う会

そもそもは、「特色ある学校づくり」に表現活動を採り入れたいという校長からの提案があった。そこに、演劇教育を長年にわたって
実践している教員・神尾タマ子さんが系統だった具体的な計画や資料を示したことから実行に移されることになったのだ。

神尾さんは、「子どもも教師も素のままの姿で居られる、安心して自分を出せる場をつくりたい。そしてもっと力を抜いて楽に
生きられるように」と願っている。そういう学校にするためには、演劇教育が最も有効と考えて、これまで学級やクラブで
実践を積み重ねてきた。その考えや方法を全職員、学校全体に広げる機会が訪れたわけである。

「総合的な学習」の時間には教科書がない。担任教員の力量に任される割合が大きいのだが、それだけに教員間の共通理解と
協力が求められる。そのためにはまず、年間を通して何をやるのか、その明確な目標と具体的なプログラムが用意されない
ことには始まらない。演劇を中心にした表現の授業を展開するのは容易ではない。

しかし、中原小学校のようにしっかりと目標が掲げられ、計画が立てられて実践している学校が実際にあるということは、
「わが校でも」と考えている人たちに大きな励みと具体的な参考になるだろう。
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
   授業で実践「演劇でコミュニケーション」〜東京・N小学校〜
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「ありのままの自分を表す喜び」「ありのままの姿を互いに認め合う良さ」そんなことを子どもたちに実感してほしいと願って、
小野裕子さんは東京・N小学校で6年生33名の授業に演劇活動を採り入れた(2005年度)。

学校では、毎年11月に、それまでの学芸会に代えて学習発表会を開いている。発表会では劇も演じられることもあったが、
国際理解教育に力を入れている教育委員会の方針もあってか、「世界の国々」や「世界の偉人伝記」といったものを劇
仕立てにして発表する、というようなものが多い。「総合的な学習」のまとめとして劇をやるという場合によく見られることであるが、
これでは「表現として中途半端」な気がすると小野さんは思っていた。

05年度、小野さんの学級でも子どもたちの多くから、この学習発表会で「劇をやりたい!」と言う声があがった。

小野さんは積極的に校外からゲストを迎えて、指導に当たってもらうことにした。その場合にとても大切にしているのは、
ゲストティーチャーと事前・事後にしっかり話し合うことである。当たり前のことのように思えるかもしれないが、実は
けっこう大変なことなのである。教員に時間の余裕は乏しい。わざわざ来てくれるゲストは演劇の道を行く人である。
対等に話し合ったり授業プログラムを共同で創ったり、ということは外から見ているほどには容易ではない。

小野さんの場合は、親しく相談できる友人でもあったから、事前に1回ごとのテーマやキーワードを決めて行うことができた。
また、授業後には、子どもたちの集中力やテンションの高まり方、声の出し方などについて検討した。そして、表現遊びで
子どもたちの気持ちをほぐす、その後グループに分かれて即興で寸劇を楽しむ、といった具合に進めてくれた。

加えて、05年度には、演劇教育の経験豊かな講師を3回ほど迎えることができた。この演劇体験授業でも、表現遊びや
コミュニケーション・ゲームのようなものが存分に行われ、子どもたちの心に劇上演への期待が高まっていった。

たとえば、みんなで一つの円形にならぶ。これがなかなか難しい。隣の人と適当な距離を保ち、さらに全体として
大きな円形になる、というワークであるが、くっついてしまったり離れすぎたり、また楕円形になってしまうなど、お互いに指
示し合ったりしているうちにかえって収拾がつかなくなってしまうということが見られがちなワークである。

「カウント・アップ」と呼ばれるゲームでは、講師にほめられ子どもたちが喜んだ。ほかの人と声が重ならないように、
1から順に数を言い合う。子どもたちは、その場の空気に集中する。ほかの子の息遣いが感じられるまでに集中し、2・3・
4・……と数え、目標の数まで言い合えたときのみんなの歓声。

これらは、相手との関係の中で自分の位置を認識ししっかりと立つ、また、集中力や達成感、あるいは仲間意識や
連帯感などを実感できるもので、演劇的な要素が含まれている。

このような授業の先に11月末の学習発表会=劇上演があったのである。『ユタとふしぎな仲間たち』のお話
(三浦哲郎原作)をもとに脚本を創り、子どもたちの好きな「ロック・ソーラン」の踊りを最後に入れて、友情の芽生えを喜び合うと
いう舞台に仕上げた。 

学習発表会で劇をやるという企画は職員会で理解され、保護者には大変好評であった。反面、学芸会の復活になるのではないか
この劇が前例になると次年度は負担になる、という意見も聞かれた。

小野さんは、今そしてこれからの子どもたちには、人と関わる力を育てることが重要であり、それには表現活動に意義があると
考えている。人と関わりながらさまざまな問題解決を図る、生き方の基本を培うのに演劇が有効だと思っている。

このような小野さんの原体験は学生時代に受けた演劇講座である。教員になると早速、「演劇でコミュニケーション」の
授業を行うようになった。「演じる」というと、「自分を飾り立てることのように思う子」(小野)もいるが、そうではなく
て、ありのままの自分を出していいんだよ、お互いに認め合おうねというメッセージを贈りたい。「総合的な学習の時間」は
そのための具体的な場であり、授業をとおして子どもたちの成長を実感できると考えている。

〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
     各地の小学校で行われている演劇・表現の授業
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演劇教育の実践と研究を進めている日本演劇教育連盟は、今月、新刊書『子どもいきいき表現−ドラマ・コミュニケーション−』を
刊行する。これは、現在小学校で行われている演劇活動のようすを具体的にレポートし、その意義を示して、演劇教育を
より広く普及しようというねらいで発行されるものである。ぜひ一読を勧めたい内容である。

目次を見てみよう。

第1章 出会いのコミュニケーション
 出会いの場を演出する(東京/田部井泰)、表現から始まる新学期(東京/大垣花子)、
 1年1組ドラマの教室(東京/福田三津夫)

第2章 表現を楽しむ授業
 劇あそびを楽しもう(埼玉/平井まどか)、身体表現を楽しもう(埼玉/伊藤行雄)、
 朗読・群読を楽しもう(大阪/内部恵子)、人形劇を楽しもう(静岡/中村明弘)

第3章 遊びから始める劇づくり
 表現の芽を育てる(東京/大垣花子)、「支え合い」の劇づくり(神奈川/金子忍)、
 チャレンジ劇づくり(東京/大門高子)、教室が劇場に変わる(山口/廣本康恵)

第4章 総合学習としての劇活動
 「生活科」の劇活動(東京/神尾タマ子)、表現のある教室一年間(埼玉/内田高志)、
 劇をつくる学校をつくる(山形/佐々木勝夫)

第5章 ドラマとしての表現教育
 ドラマとしての表現教育(埼玉/佐々木博)

1章から4章までの各論は実際に行われた授業や行事のようすである。小学校では毎日の生活のどんな場面で演劇・表現の活動が
行われているのか、子どもたちの表現の芽を育てるためにどのような支援・指導がされているのか、たしかな実践の事例が
いくつも紹介されている。

4月新学期の出会いは、子どもたちにとって期待と不安の時である。どんな先生かな、仲の良い友だちはいるかな、
子ども同士、子どもと教師、その日から意識的な取り組みが行われている。そして1年間を通して行われる授業。
低学年の「生活科」、中・高学年の「『総合的な学習』の時間」、国語科、等々の授業としての活動。あるいは学習発表会や学芸会、
全校の行事としての活動もある。

実践の内容も、表現あそび、劇あそび、劇づくり、人形劇、朗読・群読など、さまざまである。

各論はそれぞれ独立した実践例であるが、全体として学校での演劇・表現教育のおおよそが見えてくるように構成されているが、
一方また共通して読み取れることもある。

これらの授業や行事に、子どもたちの関心や興味をどうやってもたせ引き付けるか、動機づけ、気持ちの高まり、ひとつの劇を
上演するまでのさまざまなくふうや留意事項、活動の計画の立て方。またすべてが難なく進められ、うまくできあがるので
はけっしてなくて、試行錯誤や思惑はずれなども当然あるのだが、それをどうやって乗り越えるのか、等々がうかがえるのが
おもしろい。

そして、教員自身に子どもたちに向けてひらかれた心、こういう授業や活動を創り楽しむ「遊び心」のようなものが根底に
あることが浮かび上がってくるが、その陰には意欲的な研修を進めてきた各執筆者の努力があったことと思われる。

最終の5章では、このような教育がなぜ必要なのかを、子どもたちの現状を見つめるところから説いている。この本は
小学校の実践を集めたものであるが、基本的な考え方や具体例はそこに留まらない。副題に「ドラマ・コミュニケーション」と
あるように、子ども一人ひとりの想像力や創造性を触発することはもちろん、集団や社会のなかで生きるコミュニケーションの
感覚を育むために演劇教育がいかに有効かが、当事者感覚・現場感覚の言葉で論じられていて読みやすい。

なお、この本で紹介されている実践は、いずれも教師自身が行っているものであり、昨今増えてきた演劇人によるものではないが、
子どもの表現や演劇活動に関心のある人だれにでも具体的な参考になり、励ましになる1冊だと思う。
 
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
  「動く」ことで深まる理解〜横浜小学校〜 後編
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  横浜国立大学教育人間科学部附属横浜小学校。2005年度、3年1組の増田格人さん の学級(児童数40名)では、
「総合的な学習」の時間を使って、学期それぞれに劇 の要素を含んだ表現活動が展開された。

 1学期は国語の授業の中で、『ありの行列』 (大滝哲也・文)の学習が、教科書を離れて「動く」授業に発展した様子を、
前回 (演劇タイムズvol.206)でお届けした。文中にある「ちりぢりになる」とう表現 の理解を深めるために行った、
身体表現から膨らんでいったものだった。今回は、 2学期以降の増田学級の取り組みを紹介しよう。

 2学期。音楽の授業で『パフ』という歌(詞と曲=Peter Yarrower、 Lenny Lipton、訳詞=中山知子)が教材にある。
怪獣を主人公にした フォークソングふうの情感のこもった歌だ。子どもたちは、今度はこれを劇にした いという。
ペープサートにしたいという声もあがって、どちらにしようかと話し合 う。それぞれの良さや上演する条件などを話し合って、
今回はペープサートでやろ うということに決まった。「総合的な学習」の時間に取り組むことになる。
4人ずつの10班に分かれ、5番まである歌詞のそれぞれの光景を表現する。向か い合わなければいけない人形を、
左右逆につくってしまい、本番直前に集中が切れ て投げ出してしまった子がいた。ほかの子どもたちが懸命に励ましながら、
その子 を立ち直らせて完成に漕ぎ着けたというようなこともあり、ここでも「ともに学び を創り上げる」という姿が
見られたのではないかと増田さんは思っている。

 そして3学期、「総合的な学習」の時間をめいっぱい使い、劇をやろうということに なった。
冬休みの課題に応えてストーリーを考えて脚本をつくってきた子が2人い た。一人は絵本をもとに、もう一人は自分のオリジナルで。
学級の子どもたちはそ の2人の原稿をもとに、1つの脚本をつくろうということを話し合った。
題は『コ ッちゃんと一本の変な木』(原作;梁淑玲作・宝迫典子訳『いすになった木』)。
花園にある、わがままで自分のことしか考えていないモミの木が、ある日、洪水に あってみんなが流されているのを見た。
唯一仲良しだったリスのコッちゃんの「助 けてあげて!」という一言で改心し、みんなを助けた。
みんなもそれまで仲良くし ていなかったのであらためて友だちになり、名前がなかったもみの木に「ツリート」 という
素敵な名前を付けてあげる。そんなストーリーである。 子どもたちは話の筋をおよそ決めてはいたが、どの役をやるか、
どんな表現にする かはまったく決めないまま演じ始めた。 雨が降るようすをどうしよう…。洪水を表す役の子が、
床を手でパシパシたたいて 表してみたら、とても良かった。よし、これでいこう! 洪水に流されているようすはどうやって表そう…。
洪水を表す子が丸く走るから、 同じ方向に倒れれば水の流れも表せるよ。みんな同時に好き勝手なせりふを言って いては
見ている人に伝わらないよ…。じゃあ、大事な言葉ははっきり、流れに関係 ないせりふは小さい声や口パクで表そう。
そんな工夫をつなぎ合わせながら子どもたちは劇を「つくって」いった。圧巻だっ たのは、もみの木に助けてもらった動物たちが
「ツリート」という名前を付ける場 面を初めて演じた時。 「ありがとう、モミの木さん。」 「モミの木さんじゃ悪いよ、
君には名前があるんじゃないの?」 「友だちがいないから、名前はないよ。」 「じゃあ、名前をみんなで付けてあげるよ。」
「何がいいかな…。そうだ、キッコロは?」 「キー坊がいいよ。」 「君はモミの木だしクリスマスが近いから、
『ツリート』っていう名前はどうかな。」 「…それだ!いい名前だよ!それにしよう!」 「よかったね!ツリート」ぱちぱちぱち…。
このせりふは、台本を話し合った時に子どもたちが話し合ったやりとりそのままな のだ。大半の子どもが
「キッコロ」「キー坊」にしようと考えていた時、ある子ども が「モミの木だから、クリスマスツリーの『ツリート』がいいな…」と
ぼそぼそと 発言した。みんな一瞬沈黙した後、「それ、いいんじゃない?」「名前が決まった後、 パーティーをしてあげる
ことにしたら?」「よし、決まりだ!」パチパチパチ…。 だれかがぼそっとつぶやいた発言をみんなが認めたそのことを、
みんながそうしよ うと言うでもなく、自然に劇の中で再現したのである。見ている部外者にはまった くわからないけれど、
やっている子どもたちには既視感のようにその場面が思い浮 かんだはずである。これこそ、子どもたちが学習を創り上げている
ということでは なかろうか。 増田さん自身も、自分が住んでいる地域の公民館の催しで演劇講座に参加し、
コミ ュニケーション・ゲームや表現のエクササイズなど、演技の基礎となるような体験 をした。
表現を楽しめるようになってほしいと、教室の子どもたちにもそれを伝え た。ある日、1から10までの数を
他の人と重ならないように声に出すというゲー ム「カウントアップ」をやってみた。10までのカウントアップが成功した時のこと を、
ある子どもは後に感想でこう記した。「そのときはっと気がついた。10まで数 えるゲームも、劇も、お互いを感じなければ
できないんだ」と。 増田さんは、この1年間の授業を通して、演劇に教育的な意義・確かな手応えを感 じている。
〓〓「総合的な学習」に生きる演劇〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
     「動く」ことで深まる理解〜横浜小学校〜 前編
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横浜国立大学教育人間科学部附属横浜小学校。2005年度、3年1組の増田格人さんの学級(児童数40名)では、
「総合的な学習」の時間を使って、学期それぞれに劇の要素を含んだ表現活動が展開された。1学期は国語の
授業の発展として、2学期は音楽の授業をふくらませてペープサートを、3学期は子どもが脚本をつくって…。

横浜小学校では、「ともに学びを創り上げる子どもを育てる教育課程の創造」をめざして、学力の中核を「自己決定能力」
「自己責任能力」「関わり合う力」の3つととらえている。特に総合単元学習を、3つの力の育成に直接結びつくことが
できる学習として研究・実践している。

3年生は 119名で3学級。学年愛称「スマイル」の名前がぴったりのいつも笑顔が絶えない子どもたちだ。学年の
教師たちは年度初めに「まあるくふれあい みんなでチャレンジ だからわたしはここにいる」という学年テーマを
設定して、子ども一人一人が自分の存在を、友だちとの活動の中で意識し実感できる自己肯定感を育みたいと考えた。

さて、3年1組増田学級では、1学期の国語の教材『ありの行列』(大滝哲也・文)の学習が、教科書を離れて「動く」
授業に発展した。蟻の生態を描いた説明文である。それが劇に?
 
文中に、「ちりぢりになる」という表現がある。この言葉の具体的なイメージを本当に子どもたちは描けるるだろうか?と
増田さんは思った。国語辞典を引き言葉の意味を知っても、蟻が動いているようすまで含めて「ちりぢりになる」ことをわかっ
たとは言えないだろう。
 
そこでこの場面を学習する時、「ちょっと蟻になって動いてみてよ」と投げかけてみた。みんなで実際にやってみると、
やはり子どもたちはその場面のイメージがうまく表現できないのだ。自分の知識を総動員し、さらに国語辞典で意味を
知り、理解しながら表現していった。

そのおもしろさを体得した子どもたちは、学習の発展として教材全文を同じようにやってみようということを一、二も
なく選択した。

学校、学年には、「はじめに子どもありき」の基本的な姿勢がある。「総合単元学習」では、机上のプランを固定して
子どもをそこへ導くのではなく、子どもの日常や学習の中で3つの力を育てるのにもっとも適した教材を子どもと
ともに考え、子どもたちの発想や創造性を生かして深め、広げられるもの、そして子どもたちがしっかりと乗り越え
なくてはならない問題(ハードルと呼んでいる)をもつものを吟味して、総合に創り上げていくのである。
 
教師たちはそのハードルを子どもの内面に見た。すなわち、自分の既成の固定概念を破って表現することが
できるかどうかである。

「ちりぢりになる」の身体表現で触発された子どもたちの意欲は、「総合的な学習」の時間を活用して発展する。
8人ずつ5つの班に分かれて、寸劇ふうに演じることになった。各班では、登場する役(あり、ウィルソン博士、
ナレーター)を決め、蟻の触覚や白衣など簡単な衣裳を身につける。
 
子どもたちは話し合いながら表現を工夫する。ウィルソン博士をどうしてもやりたいという子が2人いた班では、
本文では登場しない「助手」という役を登場させて、博士の説明を会話で表すなど、思わぬ創造が見られる。
また、子どもたちの大人気はあり役である。動くおもしろさを感じているのだろうか。

このように、簡単にでも動いてみると「読み」の理解度が自分でもわかり、よりよく演じようとするために知識を
得ようとし、力がついてくる。そして、それぞれの班の演技をお互いに見合うことによってさらに理解が深まって
いくようだ。これは学年目標の「みんなでチャレンジ」の部分でねらう「共感する心を育てる」ことにもつながる。

ところで、担任の増田さんといえば、教師歴10年のこれまで演劇にはおよそ縁がなかった人だ。思い出しても、
はるか昔に幼稚園で『大きなかぶ』のおばあさん役をやった記憶しかない。なぜおばあさんかというと、たまたま
園で唯一めがねをかけていたからである。

それが、この年度に同学年の図工と音楽を担当する先輩同僚―演劇教育ですぐれた実績のある―の授業を見て
ハッとする。授業が、子どもがわくわくするような始まり方だったのだ。
 
絵具や筆の使い方の説明一つ一つに、子どもの気持ちが吸い寄せられていくようすを見て、わくわく感を掻き立てる
ような授業のエッセンスとして「表現」があると感じたのだ。せっかく一緒に組むチャンスがあるのだから、何か
「表現」で学習を立ち上げようとあらためて心に期す。
 
そしてこの後の2学期、3学期と表現を使った学習が展開されてゆくわけだが、これは次回にお届けしよう。
どうぞお楽しみに――――。