メール通信連載の福田緑さんのエッセイ

新しいものが上になっています。いずれも、文中仮名。

ことばの教室;在籍校で学習しながら、週1〜2回決まった時間に
通ってきて、ことばに関する指導を受ける教室。
発音、吃音、ことばの発達などの心配があるお子さんに、一対一で
段階を踏んだ指導をします。個別教育課程の届け出をして通うので、
欠席扱いにはならず、通常の学級とは別の教室で特別な指導を受け
るという形になります。
 
福田緑さんは、1972年以来、小学校の教員を勤め、その後、
心身障害児学級(現・知的障害児学級)を経て、1989年以後、
2005年退職まで、通級指導学級を担当されました。
             福田緑さんからのメッセージ

連載を読んでいただき、ありがとうございます。質問、ご意見等ありましたら
どうぞおよせください。
今回の連載と、今まで雑誌に書いてきた文章などをまとめて、
『子どもっておもしろい』という本を作っています。
演出家の竹内敏晴氏に前書きを書いていただいています。
また加藤由美子さんが夫・福田三津夫の
『1ねんせいードラマのきょうしつ』(晩成書房)とペアになるように、
素敵な子どもの絵を描いてくれました。
10月末に晩成書房から出版します。お手に取っていただけると幸せです。
 (福田緑さんの個人ホームページには、演教連リンク集から入れます)
将棋は苦手なんだけどなぁ

 私は将棋とかチェスなどのゲームが苦手だ。こうした「先へ、先へ」と幾重にも頭の中で考え、理論立て、
記憶しなければできない遊びは、考え始めたところでショートしてしまうのである。だから、今までにも、
「先生、将棋やろう。」
と言われても、駒の動かし方がわからなくてできないと断ってきた。しかし、この私に将棋をさせ、生まれて初めてのチェスをさせた子がいる。それが吾朗君である。
 
 吾朗君が「ことばの教室」に相談にやってきたのは、5年生の1学期だった。吾朗君自身はことばの教室なんてぼくは行かないと抵抗したらしい。しかし、お母さんにしてみると、漢字を書こうとしない、作文となると
ピタッと固まる、絵も描こうとしない、その「やらないとなったらやらない」時の頑なさに、どうしたものかと
悩んでいたという。体の落ち着きのなさも目立ち、先生方に叱られることもしょっちゅうだった。

 初めて会った吾朗君は、大柄で、にこにこと如才のない笑顔の男の子だった。いくつかのことばの検査をする
間にも、はきはきと答え、年齢以上の力を見せていた。ところがちょっとわからないことばがあったとき、ピタッと
彼の笑顔が消えた。「わかりません…。」とうなだれる様子はこちらがびっくりするほどだった。また、机に
カッカッとぶつけるような音を立てて文字を書くのも気になった。

 「ことばの教室」というのは、本来発音に誤りがあったり、吃症状が出ていて心配だったり、ことばの発達が
ゆっくりなため、学習につまずきが見られる子どもたちに指導をする場所である。吾朗君の場合、発音は正しく、
吃症状もない。ことばの発達も年齢以上である。しかし、この何かの場面で固まってしまう様子は一種のSOSで
あることは確かだ。悩んだ末、通級を勧めることにした。お母さんに連絡すると、「本人はやはり行きたくないと
言っているんです。でも説得して絶対に連れて行きますから。」と、嬉しそうだった。
まずは文字を書くことをいとわない子に育てたい。そして体へのアプローチも大切そうだ。
大柄なだけに体の問題も目立っていた。体へのアプローチについては「もも筋トレーニング」にゆずることにする。 

 第一回目の指導で私はたずねてみた。
「吾朗君はこの教室に何で来たかわかる?」
「いえ、よくわかりません。」
「君をコンピューターに例えるとね、とってもいいコンピューターなのよ。でもなぜかプリンターとうまくつながって
いないようなの。だから文字とか漢字とか絵をプリントアウトできないで困っているのよね。このつなぎを
しっかりしてみたいと思わない?」
「はい。がんばります。」
 この日は、1年生の漢字からテストを始めた。吾朗君はとってもいやな顔をしたが、
「お母さんも先生も一緒にテストをします。あとで交換して採点するからね。目標80点。」
今回もカッカッという音が気になった。肩や腕の力のコントロールができていないために大きな音がするのだ。
採点してみると彼の字はおよその形は合っていても、微妙なところで違う。初回は46点だった。しかし、
「女という字は右も上に出るんですよね?」
と吾朗君。お母さんと私は左側しか出ていない。吾朗君は廊下から1年生の教科書を持ってきた。
教科書では、「女」という字は左も右も角が出るのだった。そうした厳しいチェックのできる子だったのだ。
 2回目には一つだけ、「もっとゆっくり静かに書きなさい。先生より早く終わったらだめよ。」と注文を付けた。
彼はゆっくり音を立てないように字を書き始めた。とてもきれいな字が書けるようになった。
 1学期も後半になると学校の漢字テストでも100点を取ることが出てきて、練習すれば合格できるという自信が
ついてきた。

 6年生では絵を描いた。ポケモン図鑑を見て、一緒に絵を描き、色を塗るのだ。同じ絵を描いても一人一人違う
のが面白い。2学期になると、それまで色塗りはもう疲れてやらない言っていた吾朗君も一緒に色を塗るように
なった。吾朗君の描いたファイヤーは、最高にかっこよかった。形もよくとれていて、色も素敵だった。何より
雰囲気が出ていた。
 最後に吾朗君の希望を聞くと、将棋とチェスをやりたいという。こうなったら断れない。金と銀の駒の動かし方を
図に描いてもらい、勝負をした。そして初めて勝った。次はチェスだ。これも一つ一つ駒の動かし方を教えて
もらって私が勝った。結構いい気分。吾朗君はにこにこと悔しがり、卒業していった。
十日で回せますから

 さとし君は集中の持続が難しい4年生の男の子。小さい頃はお母さんから全く離れようとせず、唯一お兄ちゃんが遊んでくれたときだけお母さんは家事ができたという。ことばの発達もゆっくりで、欲しい物があると指さし、
お母さんが何のことだかわからずにいるとギャーギャー大泣きしたそうだ。ことばが通じないつらさを母子ともに
たくさん味わってきた。また、階段がスムーズに上り下りできなかったり、前のめりにトットッと歩くなど、まだ
体の土台が整っていないようだ。体の土台がしっかりすると、その結果としてコミュニケーションやことばの
力などもついてくる。多くの子どもたちがそう教えてくれている。

 そこで、私はさとし君に、話すこと、書くこと、読むこと、手先や体を動かすことを組み込んだ指導を続けてきた。
4年生でずいぶんことばの力は伸びてきていたが、まだ一方的な話で終始し、やりとりにはなっていない。
そこで毎回通級の最初に学校であったことを話させた。ある時、
「今日クイズの発表をやった。でも天野なんかさぁ、勝手に先にやっちゃうんだ。」
と、怒りながら話し始めた。
「そのクイズの順番はどうやって決めたの?」
「え、みんなで。」
「みんなでどうやって?」
「え、話し合った。」
「話し合って決めたのね? その時さとし君は何番目だったの?」
「え、2番目。なのにさぁ、天野が勝手に先にやった。…あれ、もしかしたら天野が勘違いしたのかな…。」
少し冷静になると、怒りが収められるようになってきた。またある時、
「音楽なんかなくなっちゃえばいい。」
と言い出した。
「だってさ、うち、音楽なんか大っきらいなんだもん。」
「先生は好きだけどなぁ。音楽のどこが嫌いなんですか?」
「え、リコーダー。」
「リコーダーです。だよね。最後まできちんと言おうね。どうしてリコーダーは嫌いなんですか?」
「だってさぁ、うちの指はドとかレとか押さえられないんだよぉ。」  

 翌週、さとし君にリコーダーを持ってきてもらった。なるほど、不器用なさとし君には右手の指押さえが苦手な
ようだった。
「この前授業参観で音楽の時間を見たら、すごく切なそうな顔で私の方を見るんですよ。」
と、お母さんが苦笑する。
「だってさ、あの先生、一人一人吹かせるんだもん。やなんだよぉ。みんなと一緒なら吹けるとこだけ
吹くんだけどさぁ。」
お母さんは、その練習を見ている時に、どうも右手親指の付き方が少しねじれているようだと感じたという。
だからピーッという音になってしまうのだ。それでも練習すれば何とかできるようになる。翌週からリコーダーの
練習がメニューに加わった。さとし君は「え〜〜?」といやそうな顔。
「でもできるようになった方がいいでしょ。これで5分間だけがんばろう。」
と、タイマーを見せると目つきが変わった。さとし君は自分でタイマーを押すのが大好きなのだ。右手の指を
「ソーファーミーレードー」とゆっくり下げて押さえていった。この時もどんどん先に行こうとする。私の合図を
見てから次の音に進むということを根気強くくり返した。段々いい音が出るようになった。そしてゆっくりなら何とか
「赤い屋根の家」が吹けるようになった。

 一方、指導の最後には体を動かすメニューを続けた。4年生の初めの頃、さとし君は縄跳びの前回しが
連続して跳べずにいた。宿題で毎日縄跳びを続けることにしたら、1ヶ月で50回連続跳べるようになった。
この進歩はすごい。歩く姿勢もしっかりしてきた。
 3学期になるとベーゴマ遊びがはやり始めた。ある日、さとし君はベーゴマを入れた袋を嬉しそうに取り出し、
「先生はベーゴマを回せますか?」
と聞く。さわったこともないと答えると、
「先生、このベーゴマ貸してあげますから練習してください。10日練習したら、ちゃんと回せるようになりますから。」
あの不器用だったさとし君が上手にベーゴマを回すのだ。私にはベーゴマがすべってひもがなかなか巻けない。
やっと巻けてもカツンと床に落っこちてしまう。10日でなんて無理だと思っていたが、本当に10日目、生まれて
初めてベーゴマを回すことができたのだ。
さとし君、すごい! 言ったとおりだったね。
洗濯ネットの虫かご

 さぶちゃんは、1年生の時からことばの教室に通っている。4歳までことばが出なかったため、お母さんも
お父さんもとても心配してあちらこちらの医療機関をたずね歩いたが、耳はちゃんと聞こえていることが
生活の中でわかっているのに「重度の難聴です。」と言われたり、「難聴ではないけれど、多動ですね。
しばらく様子を見ましょう。」と言われたりした。小学校に入学する時は何か言われるのではないかと
ドキドキしていたら、案外すっと入学できて、逆に不思議だったのだという。
 
 そのさぶちゃんの教室での担当者が転勤し、私が4年生から担当になった。初回の指導日、なかなか
さぶちゃんが現れない。いつもは時間より早めに来ていた子なので心配しているところへ仏頂面でやって来た。
 向かい合って座っても怒った顔で黙ったまま。前担当者を慕っていたさぶちゃんには不満があるのかも
しれないと心配になった。
「今日は、どうして遅くなったんですか?」
「もう『ことばの教室』やめる!」
さぶちゃんの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。お母さんが助け船を出す。
「今日お友だちと遊ぶ約束したっていうから、『ことばの教室』があるって言ったでしょと叱りつけて引っ張って
きたんです。」
「そうかぁ、さぶちゃんはお友だちと遊びたかったんだね。」
「『ことばの教室』がなかったら友だちとゲームできた。」と、ぶっきらぼうに言う。
「でも、先生もお母さんも、まださぶちゃんに安心して『ことばの教室』を終わりにしましょうとは言えないのよ。」
「…。好きな事してくれれば通ってもいい。」
「好きな事って、どんなこと?」
「工作とか…。」
「いいですよ。工作やりましょう。でもさぶちゃんのいやだと思うこともやりますよ。」
「わかった。」
 さぶちゃんは虫博士だ。虫取り網と虫かごを作りたいとずっと言い続けてきたが、やるべきことをちゃんと
やるという課題があまりにも大きく、前担当者は流れに乗せることに全エネルギーを使ってきた。そのおかげで今、こうしてメニューに応じてがんばるさぶちゃんがいる。今年は網とかごを一緒に作ろう。  

 さぶちゃんはまず虫取り網を作るのに竹の棒とネットが要ると言う。竹はどの位の長さ? 手で指し示す
さぶちゃんに、物差しで測らせた。どうやら150cmぐらいの棒が要りそうだ。ネットはどうする? お母さんに
100円ショップで見繕ってもらうことにした。私は早速、校内一番の物知り、主事の武田さんにたずねてみた。
「こんなのならありますよ。」と出してくれた竹がちょうどいい。
 翌週、お母さんが持ってきた洗濯ネットをファスナーのところで切り取って、チクタク袋状に縫い始めた。
さぶちゃんは、目と手の協力がうまくできず、針に糸が通らない。地団駄を踏むようにして怒るが、3年生とは
違って何度もトライした。好きなことは強いのだ。そのうち、机の上にあごを付け、針を逆さに机に立てて糸が
通った。嬉しそうにニカッとするさぶちゃん。1ヶ月ぐらいで何とかネットを袋状に縫えた。そこに針金を通し、
竹の棒にぐるぐる巻きにして、虫取り網完成。

 次は虫かごだ。大きな虫かごが作りたいさぶちゃん。ドアをどうするか悩む私。板は手持ちの物で
なんとかなるが、蝶番でのドアはつけるのも止めるのも難しい。虫かご用の金網は金額も高い。しかも板に
しっかり止めるのが大変そうだ。私は毎週のように東急ハンズやビッグサム、100円ショップと歩き回り、
どうしたらいいかごが簡単に安くできるだろうと考えた。結局、金網より洗濯ネットでかごごとくるんでしまおうと
いうことになり、地元の100円ショップでようやく大きな洗濯ネットを見つけた。内側が細かな目で外側が
粗い目の二重の洗濯ネットだ。
 次の週。さぶちゃんは、
「これって、虫が息できるかなぁ?」
洗濯ネットをやおらかぶった。大丈夫だった。板を武田さんにお願いして切っていただき、トンカン釘で打ち付けた。その回りに洗濯ネットをかぶせた。大失敗! かごの板が大きくて、ファスナーからではネットに入らない。
仕方なくネットの脇を切り開いて板を入れた。ファスナーが虫の出入り口だ。お母さんが脇と肩ひもを
縫いつけてくれた。
 1学期最後の日、自作の虫かごと虫取り網を下げてさぶちゃんは最高の笑顔だった。

 さぶちゃんの将来の夢は、ボルネオにオオヒラクワガタを捕りに行く事だという。
                      和紙で作った日本地図

どこの教室にもいわゆる“電車オタク”が一人か二人はいる。
小さい頃から電車が大好きで、日本中の鉄道がしっかり頭に入っているのだ。
電車の写真を見ただけで、どの路線を走っているか、いつ頃できた車両で何という型か…なんていうことを
とうとうと述べるような子だ。竹ちゃんもそうした電車オタクの一人である。

しかし、残念なことに、この竹ちゃん、文字を書くのがとっても苦手。運動はもっと苦手。
授業参観に行ってみると、勉強中の99%は教科書も見ず、ボーッとどこか彼方を見ている。
「こらこら、君の頭の中には今電車が走っているんじゃないの? 今何をやる時間?」
と、そばに行って言いたくなる。お母さんが心配するのも無理はない。

3年生で受け持ちとなった私は、この子の様々な体の問題に気がついた。文字を書かせると段々右下がりになる。ボールを投げてみると、ボールが通り過ぎた後でスローモーションのように腕が交差し、受け取れない。
投げても私まで届かない。決定的だったのは、最後に描いた絵だ。
「先生、これ何だかわかりますか?」
「そうねぇ、電車かしら…。」
「違いますよ。こいのぼりですよ。」
こいのぼりと思えなかったのは、赤く塗られたその絵が、四角い箱に見えたからだ。
これでは物の形の認知も難しいのかもしれない。会話のやりとりはゆったりだが楽しくできる子である。
そのアンバランスさが気になった。

後日、お母さんと面接をすると、吸引分娩で出産、歩き始めが遅く、体がなかなかしゃんとしなかったので、
本当にいろいろな医療機関をかけずり回っていた。その努力にもかかわらず芳しい成長が見られなかったという。フルタイムの仕事を持ち、通級にもそろそろあきらめの境地といった様子。

私は、竹ちゃんがやる気がないわけでも好きでぼんやりしているわけでもなく、体が整っていないために集中力、持続力がもてないのではないかとお母さんに伝えた。線を引く、塗り絵をするなど、目と手を協力させて行う
視知覚学習と、すべての基本となる体への働きかけをしていくことにした。
ゆっくりゆっくりと、竹ちゃんはいろいろなことができるようになっていった。

4年生を終えた春休み、竹ちゃんはお絵かき塾で描いた「鯨」の絵がコンクールに入選し、
大阪まで招待されたのだ! このとき、彼はお母さんと離れて初めて一人で列車の旅をした。
その体験を目を輝かせて話す竹ちゃんに、あるアイデアが浮かんだ。
せっかくの彼の知識や体験を生かして「電車新聞」を作ってみないかと持ちかけたのである。
彼は、おうように「あぁ、いいですよ。」と答えた。

まずは計画だ。何という列車をどんな順番で書こうかと相談する。
「はやぶさ 富士 あさかぜ カシオペア 出雲 サンライズエクスプレス トワイライトエクスプレス…」と
次々に列車の名前がでてくる。まずはサンライズエクスプレスから始めることにした。
定規を使って枠の線を引く。これが竹ちゃんには難しい。左手の押さえが弱くてすぐに線がずれてしまうのだ。
何号か作るうちに段々上手になった。文字を書くと段々斜めになり、次の行とくっついてしまって読みにくい。
これもくり返しうるさく言って、何とか「小さい子にも読めるように」文字や行の間をあけ、大きく丁寧な字で
文章を書くことができるようになった。写真やカードもまっすぐ貼れるようになり、1年間でようやく7号まで
電車新聞を作り上げた。
 
6年生では何かもっと大作に取り組みたい。新聞作りの合間に、サンライズエクスプレスは一体どの辺で
サンライズを見ることができるのかというように話が広がり、これは日本地図が欲しいねということがあった。
「ねぇ、6年生では大きな日本地図、作ってみない? 線路だけの。」
「あぁ、いいですよ。」
教材室から古い日本地図をもらってきた。模造紙では日本がはみ出してしまう。
確か前に凧を作ったときの障子紙が残っているはずだ。あった、あった。それを広げてみると、
ちょうど日本がぴったり入る大きさだ。

それから約10ヶ月間、竹ちゃんは和紙の上にしゃがみ込み、日本中の海岸線をなぞり、幹線線路をなぞり、
主要都市を書き込み、最後に列車カードを要所要所に貼り付けて、大きな和紙の日本地図を作り上げた。
廊下に貼ると、なかなか立派である。少々のミスは目立たない。竹ちゃんは満足そうに私に言った。
「なかなかいいのができましたねぇ。」
                話のわかるおばさん

のり君は3年生で「ことばの教室」に通級を始めた。お母さんの話では、学校の勉強についていけず、
自信がなくて困っているようだった。私がいくつか質問しても、笑顔ではあるのだが、ちょっと困った顔で
首をかしげるばかり。家族構成をたずねると、さすがにこれは何とかかんとかポツリポツリと答えてくれたのだが、
「そのお兄さんていくつ?」
「………。」
「小学生かな。」
首を横に振って違うと意思表示をする。
「じゃぁ、中学生? 高校生?」
「………。」
「じゃぁ、廊下に出てお母さんに聞いてごらんよ。」
「こんなこと聞くの、恥ずかしい…。」
そういうことは考えられる子なのだ。でも3年生で兄弟が何年生なのかわからないという子は初めてだった。
お家に何か動物は飼っているのかとたずねたところ、熱帯魚がいるという。お、話の糸口が見つかった。
「何匹くらいいるのかな。」
「………。」
「ようし、わかった。この次までの宿題。熱帯魚が何匹いるのか数えてきてごらん。できそう?」
のり君は、こっくりとうなずいた。

 翌週ののり君の時間。
「宿題を覚えていますか?」
今度ははっきりうなずく。
「それでどうだったの。」
「………。」
うぅん、またか…。ちょっと思いついて連絡帳を読んでみた。
この連絡帳は、学級担任に「ことばの教室でこんなことをやって、こんな様子でしたよ。」と言うことを知らせ、
担任からも学級での様子を、保護者には家庭での様子を書いて持ってきてもらうものだ。そこには、
こう書いてあった。
「初めての通級でとても緊張した様子です。帰り道で、宿題が出たと言っていました。昨日になって
あわてて熱帯魚を数えたのですが、数が多くて数えきれませんでした。」
「なぁんだ、たくさんすぎて数えられませんでしたと言えばいいのよ。今度から、自分の口で言ってごらん。
先生、そんなことで怒らないから。ね。」

のり君には毎回最初にお話をする時間をもうけた。3年生も後半になると、今日はあの話をしようと言う顔つきで
入ってくることが増えた。ある時は腕に包帯を巻いていて、
「ぼくが腕を折っちゃって、病院に行った。」
と話し始めた。
「ちょっと待ってよ。一体いつ、どこで?」
「えーと、昨日。学校で。それで…」
「待って、待って。学校と言っても広いのよ。校庭? 教室? それとも他の所なの? 先生の頭のテレビに
どこを映したらいいかわからないじゃない。ちゃんと教えてよ。」
と言う具合である。一つ一つ確かめないと状況がつかめない。これではふだん困ることが多いのだろうなぁと思う。
しかし毎回、「先生の頭のテレビが…」と言い続けたら、だいぶ話がまとまってきた。

ある時の連絡帳。
「昨日、いきなり『お母さんはぼくのことバカだと思っているんでしょう? ぼくだってちゃんと心の中では
考えてるんだからね。』と言ってきたので、ぎくりとしてしまいました。確かにそんなことを思っていたのですが、
最近いろいろなことを言うようになってきているので、考え直さなければいけませんね。本人にはあやまって
おきました。」

のり君の学習は少しずつ進み、書くことも話すこともずいぶん上達してきた。しかし一番目に見えて苦手なのが
音読だった。学校では一つの単元が終わると、「それでは初めから終わりまで3回読んでいらっしゃい。」
などという宿題を出されることがある。しかし、のり君にはこれが拷問のように辛い。一つ一つのことばとして
まとまって捉えられないのである。私は一文ずつ確実に読ませる方法をとった。同じ文章を間違えなくなるまで
くり返し読ませたのだ。これならがんばれた。
4年生になると、もう一文ずつではなく、段落でも最後まで読み通せるようになってきた。自信がつくというのは
すごいことだ。あののり君が、廊下で待っているお母さんにもしっかり届くぐらいの大きなはっきりした声で、
段落をノーミスで読むのだから。
お母さんがころころ笑いながら言った。
「昨日あの子がこんなことを言ったんです。『お母さん、世の中にはいろんなおばさんがいるけど、一番話の
わかるおばさんは福田先生だね。』」
                     先生はお昼寝してなさい

陽くんは1年生。頭にちょこんと帽子をかぶってにこにこしながらやってくる。

お母さんは対照的にぶっきらぼうな顔である。
せっかく学校の授業を抜けて「ことばの教室」に来ているというのに、
なんだかあまり学習らしいことはやってくれないし…といういらだちを隠そうともしない。

恐らくお母さんがこんなに険しい顔になってしまったのは、1年前の出来事が原因だったと思われる。

その日、陽くんは頭を打って、硬膜下出血で緊急の手術を受けた。

それまでごく順調に育っていたのに、この日を境に陽くんは完全にことばを失ってしまったというのである。
私には医療のことはよくわからないが、お母さんには当時の初期手当てと医療にミスがあったと
思えて仕方がないのだ。

陽くんは1ヶ月ほど昏睡状態だったそうだが、ようやく何とか意識を取り戻し、退院することができた。

「だけど、その後はもうまるっきり赤ちゃんなんですよ。言うことは聞かないし、ことばはわからないし…。
これでも少しことばが増えてきた方なんですけどねぇ。」とお母さんは悔しさをにじませながら話す。
 
とりあえずことばを増やす学習も入れながら陽くんの指導をしていくことにした。

でもこの赤ちゃん状態は、もう少し遊ぶ中でこそ抜け出ることができるのではないかと思われたので、
私はPVT(絵画語彙発達検査)という検査をやらせてもらった。

ことばで答えを言うことができなくても、絵を見て指さすことで答えられる検査だ。
当然今はあまり芳しくない結果しか得られない。
しかし私は遊びの効用をこの検査で少しはかってみようと思ったのだ。

半年間はお母さんの批判のまなざしに耐えながら、最初にしりとりや本読みなどで学習した後、
陽くんの好きな遊びをした。

陽くんはトランポリンのとりこになった。
陽くんは足元もふらついていたので、トランポリンに乗るのも降りるのも危なっかしくて目が離せない。
しかし、これが良かったのかもしれない。ふわふわしたトランポリンの上で跳び続けるうちに、
次第に足腰がしっかりしてきたのだ。子どもの体にはちょうど良い刺激なのだろうが、

「先生、乗って。」と言われて乗ると、陽くんがすぐそばでピョンピョン跳ぶ。
私には刺激が強すぎて酔ってしまうのだった。
           

1年生の終わりにもう一度、絵画語彙発達検査をしてみた。

生活年齢は6ヶ月アップしているところ、語彙年齢は9ヶ月アップだった。ようやくお母さんに少し話ができそうだ。

難しい顔をしていたお母さんが、6ヶ月で9ヶ月の伸びがありましたよと話すと、初めてちょっと笑顔になった。

「遊びはとっても大切なんですよね。子どもは遊ぶ中でいろいろな力を付けているんです。
だから辛い学習だけでなく、楽しく遊ぶことでこれからもことばの力を伸ばしていきたいと思っています。」
お母さんは何も言わなかった。

2年生になった陽くんは、ずいぶんたくましくなってきた。
今ではトランポリンよりも三輪車でぐるぐる部屋の中を回ることを好むようになった。

一番変わったのは、部屋に入るとすぐに鍵をかけるようになったことだ。
今までの経験では、お母さんや他の人に簡単に入ってこられないように防御するという感じで
鍵をかける子が多かった。

陽くんも、口うるさいお母さんに抵抗し始めたのかもしれない。
そして私に言うのだ。
「先生、トランポリンの上でお昼寝して。」
「昼寝? 本当に眠くなっちゃうけどなぁ。」
「先生はお昼寝してなさい。こっち見ちゃだめ!」
「はいはい、わかりました。じゃぁ、お昼寝しますよ。」

私は渋々トランポリンに上がる。
なぜって、今この時間に横になったら、本当に眠ってしまいそうだからだ。
何とか眠気を覚まそうと、
「陽くん、今どこですかぁ。」
「もうそろそろ起きる時間かなぁ。」と、声をかけるのだけれど、黙ってお昼寝してなさいと言われるばかり。

とろとろと襲ってくる眠気の中で、私は必死に考えた。
きっと私にそばにいては欲しいのよね、外に行けと言わないところを見ると。
でもしっかり目をつぶって、陽くんを見てはいけないということは…、口うるさいことを言わないで
黙ってそばにいて欲しいと言うことか…。

鍵をかけてしまうのも、お母さんに黙って見ていて欲しいのだろうなぁ。

もう本当に眠っちゃうよ…という頃、陽くんは元気な声で言うのだ。
「はい、勉強の時間ですよ。先生、起きて。」
                       あたしのお部屋

 玲ちゃんは2年生の時に通級を始めた。ことばが幼く、発音もはっきりしないため、
お友だちとのコミュニケーションがたどたどしかった。学習にもついていきにくい。
しかしこれにはちょっと事情があった。
 玲ちゃんのお父さんとお母さんは夫婦関係がうまくいかず、とうとう別れることになってしまったのだ。
しばらくの間、玲ちゃんはお母さんと生活した。しかしお母さんも働くのに精一杯。
幸い玲ちゃんがテレビやゲームでおとなしく遊んでいるのに安心して、テレビにおもりを任せてしまった。
時々様子を見に来たお父さんが、ことばの発達が順調でない玲ちゃんを見かねて引き取ったのだ。
昼間は近くに住むおばさんに面倒を見てもらい、お父さんが帰ってくると家に連れて帰って世話をした。
 つまり、玲ちゃんは、ことばを育てる環境に恵まれていなかったのである。 

 玲ちゃんは、ゲームで遊び慣れているだけあって、初回の指導からモノポリーというゲームで遊んだ。
これは高学年向きのボードゲームで、すごろくのように駒を動かしながら土地を買い、
家を建てていくゲームである。私が受け持っている子どもの中で、このゲームをやろうという子はほとんどいない。自分なりにルールを変えていたとは言え、玲ちゃんは基本的な遊びのルールが理解でき、
さいころの目に応じて駒もきちんと動かすことができた。私には、環境が整っていたら
もっと力を発揮できる子ではないかと思われた。

 そこで私は、最初のうちはことばの力を少しでも伸ばそうと、クイズ、音読、書き取りといろいろ試してみた。
しかし初めの2回ぐらいは神妙に応じていた玲ちゃん、段々地を出し始めた。
「もうあたし、そんなのやんな〜い。先生、これして遊ぼ。」
「これだけがんばったらね。」
「や〜〜だ。やりたくな〜い。」
学習と名の付くものは一切受け付けようとしないのだ。私は数回トライしてあきらめた。
やっぱり遊びが一番ことばの力を伸ばすという原点に立ち戻らないとしょうがない、と自分に言い訳をしつつ…。

 私が学習へのアプローチをあきらめた後、玲ちゃんの一番のお気に入りは、粘土遊びとなった。
中には油粘土の匂いや手触りをいやがる子もいるが、玲ちゃんはそんなことはお構いなし。
1時間でも作り続ける。でも正直言って私には玲ちゃんが何を作っているのかわからない。
しばらくじっと見守っていると、段々玲ちゃんのおしゃべりが始まって、何を作っているのかが
解明されてくるのだった。
「先生、これ、あたしのお部屋。」
「これね、あたしだけの机なんだ。パパのでもない、ママのでもない、あたしだけの机だよ。」
「先生、自分のテレビ持ってる? これはあたしのテレビ。大きいんだよ〜。これで『モー娘。』見るんだ〜。」
「これはあたしのソファー。先生、遊びにおいでよ。一緒にテレビ見よう。」
「できた。あたしのお部屋。こわしたらだめだからね。絶対こわさないでよ。」
私も、玲ちゃんの作ったねずみ色の粘土に心の中で色を付け、形を整えて彼女の部屋が何となく見えてきた。
私はその部屋を、戸棚の上の方にそうっとしまって言う。
「大丈夫。ここなら誰もさわらないからね。ちゃんと、こわさないでとっておくわよ。」

 こわしちゃだめと言いながら、次に来たときにはまた全部つぶして新しいお部屋を作るのである。
私には今、玲ちゃんは、以前の寂しかった家庭を心の中で一生懸命作り直しているのだと思われた。
小さな粘土のお部屋の中ではあたたかい空気が流れ、安心して好きなことができる。何回か作り直した後、
粘土でできた玲ちゃんのお部屋は戸棚の上で忘れ去られてしまった。

 その後のお気に入りは波乗りごっこだった。プレイルーム中が海になる。大きなセラピーボールに乗って
海に探険に出かけるのだ。私は玲ちゃんの乗った大玉を、
「ザブーン、ザブーン」
と波になって揺らしていく。時に大きく、時に優しい揺りかごのように。玲ちゃんは素敵な笑顔で笑い声を上げ、
しっかり大玉にしがみつく。そして玲ちゃんはもう、私がどんな時にも彼女を海に落とさないことを知っている。
                  ぼく、生まれなおしたいんだ

 祐介君は体の小さな3年生。学習についていきにくくて通級を始めた。前回書いたこうちゃんと同じように、
視知覚に難しさがあるからだと考えられた。1年生の時の先生に、
「今から祐介君に下手な字のお手本を書いてもらいましょう。」
と言われたという。祐介君が家に帰ってから、
「ママ、ぼく下手な字を書いてあげようか。」と言ったことからお母さんが聞き出した。お母さんは私に
その話をしながらぽろぽろと涙をこぼした。好きで下手な字を書いているわけではないのにこんなことを言う
教師がいるのかと、私は怒りを通り越して悲しくなった。

 しかし、孝ちゃんと違って祐介君はなかなか線を引く学習には応じてくれなかった。きっとよほど辛い思いを
くり返してきたのだろう。私はまずこの子のかたくなな傷ついた心をほぐすには、徹底して遊ぶしかないと
開き直った。

 祐介君はある時から箱庭(註)をやり出した。砂にミニカーを置き、何度も何度も走らせる。
ぐるぐる走らせている間、彼は何を考えていたのだろう。指導の終わりになると、そこに人形を逆さに
つっこんで帰って行く。私はその様子を見ていると心の中に砂を飲み込んだような重い気分になるのだった。
 しかし、徐々に箱の中の風景が変わってきた。ただ砂漠のようだった景色に家が建ち、店ができ、
車の列がにぎやかに並び、川が流れるようになった。そのうちに橋も架けられ、ふと気がつくと人形たちが
あちらこちらで生活するようになっていた。私は笑顔で祐介君の箱庭を見守ることができるようになった。
 註;57×72×7cmの木の箱で、中に砂を入れてある道具。様々な種類のミニチュアを心の赴くままに
並べることで気持ちを整理することができると考えられている。
 その頃、お母さんからこんな話を聞いた。
「先生、うちの子、最近ほ乳瓶で飲み物を飲むんです。」
「へぇ、どうしてかしら…。」
「私にもわからないんですけれど、どうしてもほ乳瓶で飲みたいから買ってきてくれと言われて…。毎日学校から帰ってくると嬉しそうに飲んでるんですよ。なんだかおかしくなっちゃって。」
「何か赤ちゃん返りしたいことでもあったのかしらねぇ……。」

 4年生になってしばらくすると、祐介君は変わった遊びを始めた。プレイルームにビニールの蛇腹トンネルがある。部屋の暗幕を引き、真っ暗にしてトンネルをくぐるのだ。何でこんなことが楽しいのだろうと、
私は少し不思議だった。ある日、教室にあるったけのボールを箱ごと取り出してきて、
「先生、このトンネルを通ってあっちの倉庫の中に入って。」
と言う。部屋の隅に道具を入れる小さな倉庫があるのだ。子どもにはちょうど良い大きさのトンネルも、
私にはきつくて進みにくい。何とか通り抜けて狭い倉庫に入った。
「先生、これからボールがいっぱい行くよ。受け取ってね〜。」
次から次へとボールが転がってくる。私は狭い隙間に膝を折りたたんでしゃがみ込み、祐介君が
送り込んでくるボールを貯めていった。最後に来たのは祐介君自身だった。
「へへへぇ〜。真っ暗だねぇ。」
彼は私の膝にすり寄ってしゃがみ込む。なんだか秘密の部屋に入ったような気分だ。
いくら小さくてかわいらしい子でも、一応男の子だ。こんなに密着してしまっていいのだろうか。
ちょっと胸が苦しくなる。しばらくボールと私にギューッと囲まれていた祐介君だったが、
ようやく穏やかな声で言った。
「先生、先に出て。」
「うん、わかった。」
私は内心ホッとして、ぜいぜい言いながらようやくトンネルを抜け出した。その後をまたしても
ボールがどんどん追いかけてくる。嬉しそうにキャッキャと笑う声がした。
 最後に祐介君がトンネルから顔を出した。薄暗い光の中で、私は彼の輝くような笑顔を見た。
そしてふとお母さんの話を思い出した。

「先生、あの子を私は産まれる前から傷つけていたんです。」
「えっ、どういうことですか?」
「私は女の子が欲しくてたまらなかったんです。でもお腹の子が男の子だとわかって、
何とか流産してくれないかと倒れてみたり、わざと高いところから飛び降りてみたり……。
きっとあの子はお腹の中で必死に生きようとしがみついていたのでしょうね…。」

 祐介君は生まれ直したかったのだ。私は笑顔で彼を迎えた。「よく出てきたね!」

                      孝ちゃんのおにぎり

 孝ちゃんは2年生。1年生の時から「ことばの教室」に通い始めた。ことばが時々つっかえたりくり返したりする
吃症状があり、ことばの発達もゆっくりだった。
 お母さんの話では、入学前に文字を教えようとしたがなかなか覚えてくれないので思わず
怒ってしまったとのこと。すると吃症状が出てきたという。今でも弟に比べても同級生と比較しても、
なにかと不器用だとのこと。一方、工作は大好きで、絵は壁飾りにしたいぐらいの素敵な絵を描く。
少々アンバランスな面がありそうだ。そこで、視知覚(註参照)の発達を促す課題、ことばの力を伸ばす課題と、
孝ちゃんの好きな遊びでメニューを組んだ。
 しかし、孝ちゃんは不安でたまらない。
「次は何をやるの?」「今度は何をやるの?」
しょっちゅう私に聞いてくる。ホワイトボードにメニューを書いておくことにしたら、少し落ち着いた。

 孝ちゃんには線を引く練習を第一の課題とした。文字の習得が遅い子、苦手な子に私が用意するプログラムで
ある。様々な直線や曲がった線をていねいになぞらせるのだ。孝ちゃんは、最初の頃この勉強をいやがっていた。しんどいのはよくわかる。でも「ゆっくりゆっくりね…。」と声をかけながら、私も心の中で一緒に線を引いていく。
いわば念力を送り続けるのである。そのうちに、どこかちょっとしっかり線をなぞれたりするところが出てくる。
すかさず花丸をつけていく。
「わぁ、こんなにたくさん花丸がとれた。」
と、孝ちゃんの目も輝いてきた。こうなったらしめたものだ。徐々に難しい線を引く課題にしていっても大丈夫。
 こうして練習するうちに、孝ちゃんは文字を書くことをいやがらなくなった。つまり、肩から腕、腕から指先への
力のリレーがうまくできるようになったのだ。目と手の協力体制が整ったのだとも考えられる。私が担任の先生へ連絡帳を書く間に、孝ちゃんは私への手紙を書くようになった。

 2年生になると、「孝ちゃんが先生をやりたいの。」と希望を出してくるようになった。孝ちゃんの先生は
きびしいのだ。ランドセルから「かんどり」をもって来るという。いったい何のことかと思ったら、漢字ドリルだった。

 孝ちゃんは漢字ドリルから習ったばかりの漢字の読みをホワイトボードに書き写す。
「はい、先生、今日はこれが宿題です。一つの漢字を20回正し〜〜く書くんですよ。正しくないとこわいですよ〜。」
 翌週は宿題調べから始まる。そうこうするうちに算数の宿題も出始めた。試しに1題ぐらい間違えておくと、
ちゃんと×をつけて、うれしそうに返すのだ。時々書く作文に習った漢字も使うようになった。吃症状も目立たない。お楽しみの遊び時間も、一つのゲームで集中して遊べるようになった。遊びは子どもたちの力の
バロメーターである。

 2年生の2学期後半になると、朝、お母さんから欠席の電話が入るようになった。
「先生、申し訳ありません。今日は学校で大事な勉強があるから学校へ行きたいって言うんです…。」
 お母さんは話しにくかったらしいが、孝ちゃんはもう「ことばの教室」をやめたがっているようだ。
面談を組むと、想像通りだった。子ども自身が困っているときには「ことばの教室」はクラスを抜けてでも
来たいオアシスとなる。徐々に自信がつき、力を蓄えてくると、そろそろ離れていくのが常である。
少々寂しいが、これは喜ばしいことなのだ。
 その日、お母さんがこんな話をしてくれた。
「弟がどうしても公園に行きたいと言うので孝治も一緒に行こうと誘ったんですけれど、ぼくはお留守番を
するって聞かないんです。私はすごく心配だったので、早めに帰ったんですよ。そうしたら机の上に
おにぎりが作ってあって、『もう帰ってきたの?』って言うんです。」
「おにぎり、ですか?」
「お母さんたちがお腹が空くと思って作ったそうです。回りにはご飯粒もこぼれていたんですけど…。ベランダには水遊びの用意がしてあって、これからなのに…という感じで。」
 これなら大丈夫。孝ちゃん、もう立派に自立を始めている。何と言っても他の人を思いやれる力を
付けたのだから。

 3学期のある日、孝ちゃんがやって来た。
「福田先生とはいっぱいいっぱいお勉強して、もう『ことばの教室』は飽きました。孝ちゃん、ことばの教室を
やめます。」
と宣言し、私のもとを巣立っていった。

註;視知覚→視覚的な情報を、正しく認識し、理解する力。