子どものための朗読・群読指導


新しいものが上になっています。初めての方は、下までスクロールして、1回目からお読みください。

第28回

番外編(4)

2005年2月。
鎌倉市立第二小学校3年生からかわいい招待状が届いた。
昨年の5月に私が「相手に声やことばを届ける」という授業をやった学校だ。

その後9月から3、4年生合同で、総合学習の時間の活動としてミュージカルに取り組み、
2月22日にその発表をするというのだ。

題材は「ぞうれっしゃがやってきた」小出隆司原作、清水則雄作詞、藤村記一郎作曲のものを
4年生の担任の先生が脚色したものだという。
私はこれは絶対見たいと思い、出掛けて行くことにした。

当日、校長先生に案内されて体育館に行ってみると、すでに大勢の保護者の方や、
招待されたお年寄りの方たちが並んで入場するところだった。
入口の所には子どもたちが受付をやっていて、「こんにちは〜」と元気な声であいさつをしてくれる。
「アンケートをお願いしま〜す」という声にも意気込みが感じられる。

中に入ってみると、会場は3、4年生以外の子どもたちと、保護者の方や、お年寄りたちで
ほとんどいっぱいの状態だった。
このお年寄りたちとは4年生が昨年10月に交流会を持ち、踊りの交歓をしたり、
給食をいっしょに食べたりしたのだという。

正面のフロアーにはすでに合唱隊や器楽を演奏するグループがスタンバイしており、
次々に入場して来るお客さんたちに手を振ったりしてかなりリラックスした状態だ。
その前には動物の慰霊碑のセットが置いてある。

さて、開幕の時間。
センターマイクの所へ女の子が一人出て来てあいさつをすると、総勢135名の壮大なミュージカルが始まった。

先生役の子どもに伴われて動物園の遠足に来た子どもたちが客席後ろからあちらこちら
きょろきょろしながら入って来る。そして先生の慰霊碑の説明から劇が始まる。
サーカスの場面ではリボンを振りながら登場する子、皿回し、側転、一輪車、旗を振ったり、
バトンを操ったり、華やかな世界が展開する。

一番人気のあったというドラムの演奏やら、エレクトーンなどの楽器演奏をバックに
合唱隊はのびのびとした声で「サーカスの歌」を歌う。

これはまさに教科をクロスさせた総合の世界だ。
群読あり、語りあり、踊りあり、多彩な活動は上演時間1時間におよび、大きな拍手をもらって
終末へと向かって行った。

役は希望とオーディションで決め、歌を全体で練習したほかはグループごとに子どもたちが自主的に
演技を考え練習を進めてきたという。

3学期になってからは全体が集まって練習をしたそうあだが、それにしてもこれだけの活動を行うには
かなりのエネルギーと時間を要したことと思う。それは全て総合的学習の時間を使って行ったという。

「ミュージカルを通して、まわりの人たちと心を通わせ、自分の気持ちを表現しよう」というねらいは
見事に達成されたと言っていいだろう。
私もほんの少しそのお手伝いができたことがうれしい。この上演はもう一度、3月3日に
鎌倉芸術館で行われることになっているという。
第27回

番外編(3)「表現を楽しむ職員集団が子どもの表現を育てる」 

私が5月に行って群読の授業をして以来、この学校では様々な取り組みをして来たという。

例えば
1.担任による読み聞かせ
2.図書担当職員による読み聞かせ
3.クラスの父母による読み聞かせ
4.図書館員による読み聞かせ
5.中学生による読み聞かせ
6.図書委員会(5、6年生)による読み聞かせなどである。

その他、詩の音読やスキルアップタイム・学芸会など、朗読・群読・表現読みに取り組み、
子どもの表現力を伸ばしてきたという。

特筆すべきは先生方も表現することを楽しみ、校長先生の脚色した劇を子どもたちに見せているということである。

2004年2月には「森は生きている」、6月には「さるかにばなし」を体育館で上演したとのことであった。
子どもたちの喜ぶ顔が目に見えるようである。

こうしたさまざまな取り組みが子どもたちに良い影響を与えないはずはない。子どもたちも先生方の表情も
実に明るいのだ。

近年教育界も管理態勢が強化され、点検主義が横行しているようであるが、
このように学校の職員が一丸となって子どもの側に立った教育活動に取り組めば効果は上がらないはずはない。

最近どこの学校へ行ってもゆとりがなく、先生方が険しい顔をして忙しそうに立ち働いている。
先生方にゆとりがなくてどうして良い仕事ができようか。
行政当局や地域や保護者の思惑に気を奪われ、肝心の子どものことが忘れられていることが多くはないか。

子どもに取り組みの成果が見えれば、地域も保護者も必ず協力してくれるはずである。

事実この学校では有志の親たちが校庭の片隅に丸太を切って埋め込みベンチを作り、
野外に読書コーナーを作ってくれているという。

校長先生は校内を案内しながら、うれしそうにその現場を見せてくれた。
中学年の読書アンケートによれば、3年生92%、4年生89%の子どもが読書することを好きと答えている。
全国平均に比べてもこれはかなり高い数値と思われるが、これだけの取り組みをすれば
当然の結果といえるだろう。
私が行った当日の職員の実技研修に、「スイミー」(レオ=レオニ作谷川俊太郎訳)の群読をおこなったことは
前回に述べた通りだが、研修終了後校長先生はすかさず言った。

「3学期にはぺープサートでこれを子どもたちに見せましょう。」先生方は「エーッ」といったが、
顔はうれしそうに笑っていた。
第26回

番外編(1)

о「子どもが子どもに読み聞かせ」 

2004年12月8日。私は東京都内のある小学校の校内研究に招かれた。
この学校はこの年の5月にも一度呼ばれて行ったことがあり、この時は私が4年生に授業をして来た所だ。

その子どもたちが今度は3年生をお客さんに呼んで読み聞かせをするのだという。

クラスを6班に分け、それぞれの子どもたちが3年生に合った本を選び、
構成を考えて読み聞かせをするとのこと。

さてどんな活動になるのか、私はわくわくしながら出掛けて行った。

4年生はまず教室で簡単な声出しのウォーミングアップをした後、3年生が待っている六つの場所
(空き教室や図書室など)へと出掛けて行った。

4年生の各班が選んだ六つの作品は次のようである。
 1班〜「あくびがでるほどおもしろいはなし・うたうふくろ・だめといわれてひっこむな」
 2班〜「まゆとおに」
 3班〜「えんぴつたろうのぼうけん」
 4班〜「わすれられないおくりもの」
 5班〜「九人の兄弟」
 6班〜「つのがないバイソン」

3年生はというと、各場所に6、7人ずつ分かれ椅子に座ってお行儀よく待っていた。
1時間のうちに途中休憩が入り、班毎にもう一つ好きな話を選んで移動することになっている。

上級生がお話を読んでくれるというのでやや緊張ぎみであったが話を聞いた後では面白かった所や、
読み方を工夫している所など積極的に感想を述べていた。

3年生も同じような活動をしているので感想を述べるときの視点がいい。
4年生の方もかなりよく練習ができていて楽しそうに演じていた。

後で子どもたちに作品を選ぶ時や、役を決める時にもめごとが起きなかったかと聞いてみたが先生方の
ご指導もあり割合スムーズに決まったようである。

練習は休み時間などにも行ったとのことであった。
やはり聞いてもらうという励みがあると練習にも力が入るのだろう。
ただどの班も張り切り過ぎたのか読みのテンポが速いのと、間がないのが気になった。

後の研究会でもこのことが問題となり聞き手に作品のイメージを伝えるためにどうしたらよいかという質問も
受けた。
そこで私は用意して行った「スイミー」(レオ=レオニ作、谷川俊太郎訳)を使って、
ある場面のイメージをどう強調して読むかを実際に声に出して読んで学習してもらった。

5月に行った授業がこういう形で発展していっていることがうれしい。
第25回

о「今度はもう少し大きな声でがんばりますから学芸会を見に来てください」

私は飛び込みで授業をやるとき、必ず事前に担任の先生と打ち合わせをし、気をつけて接した方がよいという子を
教えてもらうようにしている。

そのクラスにはみんなの前でほとんど声を出さないというSさんと、やや自閉気味のN君がいた。

「宇宙人の宿題」(小松左京)と言う作品を役割読みをする前に、「早口ことばのうた」(第11回を参照)を
やって声を出して読むことの抵抗をなくしておこうと思い、隅の方から順番に当てていった。

Sさんの所まで行くとクラスに一瞬緊張が走った。みんながどうするかなという顔でSさんを見ている。

そこで私は「やる?」と聞いてみた。Sさんは黙ってうなづいた。「じゃあ、やってみよう」といって
さりげなく最初から順番に読ませていった。

そしてSさん。小さい声であったが、無事に通り過ぎた。すかさず私は「うまくいったじゃない。」といってほめた。

後日そのクラスからお礼の手紙が来た。Sさんの手紙には
「今日は先生にほめられてすごくうれしかったです。今日は小さな声しか出なかったけど、
学芸会にはもう少し大きな声を出すので見に来てください。」とあった。

残念ながら学芸会には行けなかった。

о「ふたりでなかよくしゃべろうよ」

これと同じ時間。自閉気味のN君の所にも順番が回ってしまい「ふたりでなかよくしゃべろうよ」のところがあった。
担任の先生に事前にお聞きしたところでは、隣の子のおおむがえしならできるということであったが、
ここでおおむがえしをしていると次の子のところへつながらない。

とっさに思いついて「ここはN君と二人でやろう」と言った。読み終わった後N君はうれしそうにしていた。

以来「早口ことばのうた」をやるときにはいつもこの部分は二人でやるようにさせている。

о忘れられない子どもたち このほか「モチモチの木」(斎藤隆介)のじさまのせりふ
「霜月の二十日のうしみつにゃぁ、モチモチの木に灯がともる。起きてて見てみろ。そりゃぁ、きれいだ。…」の
部分を教壇の上に寝転がって、キセルをすうまねをしながら読んだG君。
1時間のうちに読みが劇的に変わった鎌倉のH君などなど忘れられない子どもたちはたくさんいる。

やれ、ゆとり教育だ。やれ、基礎学力の充実だ。IT教育だ。環境教育だ。…と
大人の側からの教育論議が盛んだが、子どもの側に立った教育の在り方が忘れられてはいないだろうか。
激しい世の移り変わりの中で翻弄されている子どもたちの健やかな成長を願わずにはいられない。
第24回

〔9〕忘られない子どもたち
 −声を出したり、からだを動かして読むことによって輝いてきた子どもの話ー

定年退職後いろいろな所へ呼んでもらって、たくさんの子どもたちと出会って来た。
その中に今も忘れられない何人かの子どもがいる。

о「ぼく、風になる!」

K君は国語の時間になるとよく保健室に行っていたという。
いろいろ問題も引き起こして担任の先生を困らせることもあったようである。

私がその子のいるクラスへ二週間ほど通って、「つり橋わたれ」(長崎源之助)の授業をやらせてもらっていた時のことである。

この話はお母さんが病気で、山の中のおばあちゃんの家にあずけられたトッコと言う女の子の話である。

そのトッコが東京の自慢話ばかりするので山の子どもたちにつまはじきをされてしまう。
ある日不思議な男の子が現れて、その男の子とおおむがえしに会話しているうちにトッコはこわくて渡れなかった
つり橋を渡って山の子どもたちと仲直りするという話である。(学校図書三年上掲載)

その不思議な男の子は風に乗って現れるのだが、その場面を私はコの字型に机を並べた中の
空間を使って演じさせた。

するとK君は「ぼく、風になる。」と言って出てきた。
そして「ピュー」と言いながら、不思議な男の子役の子の回りをぐるぐる回りながら登場し、
また「ピュー」と言いながら退場して行った。
それがよほど楽しかったらしく、翌日行った時も、「先生、昨日のところまたやろう。」と言った。

その秋学芸会があり、私は招かれたので行ってみるとあのK君が生き生きと劇を演じていた。
K君にとってはいつも机に座って黙って本を読んだり、字を書いたりする国語の授業は苦痛だったのだろう。

о「早く入って来いよう!」
「きりなしうた」(谷川俊太郎)をやっていたときのことである。
A「しゅくだいはやくやりなさい」
B「おなかがすいてできないよ」
A「ほっとけーきをやけばいい」
B「こながないからやけません」…と
席の隣り合った子どうし役割を決めて読む練習をした後、希望者に前に出て発表させてみた。

G君は相手役の子に廊下に出るように言って自分は廊下に背を向けて椅子に座った。
そして「早く入って来いよう。」と相手役の子をうながしている。
何をするのかな。と見ていると、廊下に出た子が「ただ今。」と帰って来る。
すかさずG君が「しゅくだいはやくやりなさい」 とややこわいおかあさんの口調で読み始めた。

担任の先生のお話によるとG君はクラスではボス的存在で先生をしばしば困らせることもある子だったようである。
クラスはにわかに活気づき教室中が笑いに包まれた。その後の授業がスムーズに展開していったのは
言うまでもない。

第23回

〔8〕集会活動に生かす群読
−初めて手掛けた群読「モチモチの木」(斎藤隆介)−

わたしが初めて群読というものに出会ったのは1970年代の初め、他校から転任してきた先生が
「あめ」(山田今次)という詩を6年生に演じさせたのを見たときである。

それまでに卒業式の呼びかけの指導はしたことはあったが、この読み方には新鮮なものを感じた。
呼びかけはソロがあって群があるという単純な構成であるが、これにはソロばかりでなく、
アンサンブルがあったり、コーラスがあったりする。

詩の読み方にこんな方法があったのかと、衝撃的ですらあった。

これが山本安英の会が「平家物語」を朗読をするために考え出された群読という方法から出発したものだ
ということを知ったのはずっと後のことである。

1976年。
その山本安英の会の群読「平家物語」を聞く機会があった。

続いてこれを演出したことのある酒井誠氏から直接指導を受ける機会もあり、
群読という方法にますます興味を持ち、いつか自分も手掛けてみたいと思うようになった。

そして1991年。当時勤務していた
東京・江戸川区立二之江第二小学校の集会活動の時間に、初めてこの方法を取り入れて発表を行った。

子どもの表現力を育てようと始めた「歌と朗読の会」の第1回目に行ったのが「モチモチの木」の群読であった。
(6年生)

台本は次のように考えて作ってみた。豆太、爺さま、医者様といった登場人物には、それぞれの会話の部分を
読ませる。それ以外の地の文は全員がモチモチの木になってその根元で展開する出来事を
第三者に語って聞かせるという構想にした。

七十名あまりの子どもたちをモチモチの木の一つ一つの芽と考えて構成すれば、
この作品を群で読む必然性も出てくるだろう。

そう考えて、それぞれのフレーズをソロでよむことを原則にして、テーマに関わる重要な部分、強調したい部分、
エネルギッシュな部分、ボリュームの必要な部分を群で読むようにした。

さらに全体に変化を持たせるために、打楽器で効果音を入れることにした。
例えば、豆太が医者様を呼びに行くところは鈴をシャン、シャン、シャンと鳴らしたり、
話の変わり目にはトライアングルや拍子木の音を入れる。

またクライマックスのモチモチの木に灯がつくところは豆太の声がこだまするように全体を三つのグループに
分け「灯がついている」「灯がついている」「灯がついている」とリフレインさせてみた。
読みの初めと終わりは拍子木を使った。

こうして定年退職までの5年間。
「子ねこをだいて」(那須正幹)〜5年
「ことば遊びと詩」〜6年
「ガオーッ」(斉藤 洋)〜4年
「つり橋わたれ」(長崎源之介)〜3年などの
作品を群読で発表した。
第22回

〔7〕行事に生かす群読−開校記念日に「おまつり」(北原白秋)を−
2000年はちょうど東京・新宿区立富久小学校の開校70周年にあたる年だった。
その開校式典の中に群読を取り入れてみたいという相談を受けた。

この学校は全校で109名という小規模な学校で、数年前から「詩の集会」を毎月1回もち
全校で詩を読むことを積み重ねてきたという。

まずは群読について先生方が学びたいということで、5月に私が呼ばれた。
ことば遊びや詩の群読を体験してもらった後、群読とはいかなるものかについてや指導のポイントを話してきた。

その後先生方はいろいろと協議して「子どもの四季」と題した30分程のアトラクションを構成したという。

それぞれの学年にあった詩を選びそれを四つの季節に合わせて配列し、
その間に合唱や琴、和太鼓、オカリナ、リコーダーの演奏を入れていくという構成になっている。

そして10月。
式典の近づいたある日、私は再び呼ばれて全校で行う「歩くうた」(谷川俊太郎)と
「おまつり」(北原白秋)の群読のアドバイスを依頼された。

1年生から6年生まで109人がステージに並んだところは壮観であったが、
発達段階の違うしかも別々に練習してきたものをひとつの作品に仕上げるのはなかなかに難しい。

それにあえて取り組んだ先生方の努力に報いたいと私は次のようなアドバイスをした。

まず「歩くうた」。
いろいろな歩き方が出てくるが、『てくてく』『のそのそ』『ぶらぶら』…はどんなときの歩き方なのだろう。
それをイメージして実際に歩いてみるといい。特に後半『扉をあけて』『錠をこわして』『壁をつきぬけ』
『大地を踏んで』『国境越えて』『ひとを助けて』のところはだんだんテンポを上げながら力強く読むこと。

「おまつり」はやはりその場面その場面をしっかりイメージして、『わっしょい』『わっしょい』が
いつも同じテンポやリズムにならないように場面に合わせて変化させて読むこと。
そして全員が息を合わせて読むことが大切だという話をしてきた。

10月21日大勢のお客さんを前にして109人の子どもたちは見事にこのアトラクションを演じ切った。

これと同じようなことを2002年、東京・世田谷区立世田谷小学校の開校70周年記念式典でも経験した。

このときにもまず先生方に群読の体験をしてもらい、日常の授業の中で子どもたちに
声を出して読むことの楽しさや、みんなで心を合わせて詩を読む楽しさを味わわせておいて欲しいとお願いした。

単に行事を盛り上げるためではなく、日常の学習の集大成が行事に生かされるように私は願っている。
第21回

3「たんぽぽ」(川崎 洋)を群読する〜3年

休憩の後、全体を集めて「たんぽぽ」(学校図書2年上)の詩を黒板に掲示し、音読させた。

そして次のような質問をした。「どんな様子が目に浮かんでくる?」
「『おーい』というところはだれが、だれに言っているんだろう」
すると、「人間がたんぽぽに」「たんぽぽがたんぽぽに」「かえるがたんぽぽに」「飛んでる鳥がたんぽぽに」と
いろいろな答えが返ってきた。

「じゃあ君たちが言っているとして、『たぽんぽ』って言いたい人」「『ぽぽんた』って言いたい人」
「『ぽんたぽ』って言いたい人」「『ぽたぽん』って言いたい人」とグループ分けをした。

その中の一人が呼びかけるとそのグループ全体が呼びかけるように読ませてみた。

「『川に落ちるな』の所は、みんなで言ってみようか」「『たんぽぽが たくさん飛んでいく』の所、
誰か一人で読んでくれるかな」「『ひとつひとつ みんな名前があるんだ』の所も」
これで群読の台本が出来上がった。

一回練習をした後、ひな壇を組んだステージへ全体を並べた。
そして出来上がった台本に従って、全体で群読をしてみた。

「たんぽぽはどの辺をとんでいるの?」「どんな気持ちで言っているのかなあ」
と言うと読み方がどんどん変わってきた。

実はこの授業に入る前に担任の先生にお願いしてたんぽぽでたくさん遊んでおいてもらったのだ。

この学校は学区域に鎌倉で一番古いといわれる杉本寺があり、自然がいっぱい残っている所だ。
表現をするときには五感を使った体験が大切だ。そうした体験が表現の基礎となる。
もちろん体験できないこともあるが、それは想像力で補う。
その想像力の豊かさも五感を使った体験の豊富さにかかっている。

こうして90分間の授業は終わった。後日教育センターから、次のようなお手紙とアンケートの結果をいただいた。

「…教室にむかう子どもたちは、髪の毛がびっしょりで、笑顔いっぱいでした。『きょうの勉強どうだった?』と聞くと、
『面白かった』の声が、次々返ってきました。…」
参加者28人。アンケート回収11人。
・非常に参考になった。(5人)
・参考になった。(5人)
・あまり参考にならなかった(1人)

「『おーい』と呼びかける時、自然に口に両手を持ってきた子がいて、ほほえましく思った。
気持ちを考えることにより自然と劇化していくのだなと思った。」
「『〜に言葉をつたえる』『〜に言葉を届ける』という意識が高まっていくことが自分を表現することにつながる
のだと思った」などなど。

そして担任の先生からは子どもたちのお手紙と共に、次のようなお便りをいただいた。
「…その後国語の授業で学習した『きつつきの商売』という作品を劇とペープサートでやりました。
保護者のみなさんにみていただき、1・2年生にも上演しました。…」
学年末にやるという発表会に私を招待してくれるという。楽しみだ。
第20回

〔6〕声やことばを相手に届けるために−「あいうえおの うた」・「たんぽぽ」(川崎 洋)〜3年−

2004年3月。鎌倉市の教育センターから再び「授業づくり実践研修会」の講師依頼がきた。
「自分の思いを人前で言えない子や、他人にうまく伝えられない子が多くなっている。
表現力を身につけるための授業をやって欲しい。」というのである。

いろいろ考えた末、
テーマ「心やからだをほぐし、ことばによる表現力を育てる」
対象学年「小学校中学年」
場所「体育館」
時間「90分間」ということで、これを受けることにした。

そして5月18日に、鎌倉市立第二小学校3年生66人と授業をすることになった。

1.ゲームで、からだや心をほぐす 当日、初めて出会った子どもたちとまず「こぶたちゃん」というゲームを行った。
これにはいろいろなバージョンがあるようであるが、次のようなゲームである。

・太鼓の音に合わせて自由に歩く。ストップの合図で3人組を作る。二人は両手を つなぎ家を作る。
一人が中に入って子豚になる。

・第一のパターン
 鬼が「こぶたちゃーん」と呼びかけると、中の子豚は他の家に 移動する。家に入れなかった子が鬼になる。
・第二のパターン
 鬼が「あらしー」と呼びかけると、子豚はじっとしていて、家が飛んで行き他の子豚にかぶせてやる。
家に入れなかった子が鬼になる。
・第三のパターン
 鬼が「じしーん」と呼びかけると、三人組はバラバラになり新しい三人組を作る。

最初にこのゲームを行ったのは三つのねらいがあったからだ。
1)声を出し、体を動かすことによって緊張感を和らげる。
2)だれとでも手をつなぎ仲良くできるようにする。
3)体育館の隅々にまで声を届ける。

2.声やことばを相手に届ける
このゲームでからだを暖め緊張感をほぐしたところで、一度全体を集めて「あいうえおの うた」(光村図書1年上)をみんなで音読した。

そのあと二人組を作り、相手にボールを転がして渡しながらそれに「あー」と声を乗せていく。
受け取った相手は「いー」と言いながらボールを返す。相手にボールが届くまで手を相手に指し示しながら声を
出し続ける。届くようになったら、相手との距離をだんだん離していく。これを五十音全部行った後、
今度はボールを使わずに「あいうえおの うた」の中のことばを相手に届ける。

A「あやとり」
B「いすとり」
AB「あいうえお」
C「かきのみ」
D「くわのみ」
CD「かきくけこ」
…といった具合である。群読の初歩である。
これを全体で繰り返した後、一度休憩を取った。
第19回

〔6〕卒業式に向かって
―「心に太陽を持て」(ツェーザル・フライシュレイ作.山本有三訳)〜5年 「生きる」(谷川俊太郎)〜6年の群読−

2004年2月。
校長先生が再び七里ガ浜小学校へ私を呼んでくれた。
卒業式に向けて5年生と6年生に群読の授業をして欲しいというのである。

私は3年生の子どもたちとも再会できるので喜んで出掛けて行った。
題材には5年生には「寿限無」と「心に太陽を持て」。6年生には「早口ことばのうた」と「生きる」を選んだ。

5年生は元気のよい子どもたちでよく声が出た。
「寿限無」で遊んだ後は次のように私が構成した台本に従って「心に太陽を持て」をやった。

男1「心に太陽を持て。」
男2「あらしがふこうと、」
男3「ふぶきがこようと、」
男4「天には黒雲、」
男5「地には争いが絶えなかろうと、」
男全「いつも、心に太陽を持て。」
女1「くちびるに歌を持て、」
女2「軽く、ほがらかに。」
女3「自分のつとめ、」
女4「自分のくらしに、」
女5「よしや苦労が絶えなかろうと、」
女全「いつも、くちびるに歌を持て。」
男6「苦しんでいる人」
女6「なやんでいる人には、」
男7「こう、はげましてやろう。」
男全「勇気を失うな。」
女全「くちびるに歌を持て。」
全「心に太陽をもて。」

6年生には「早口ことばのうた」をやった後、「生きる」(光村図書6年下)の意味を考えさせながら、
声を出して読ませた。

しかし、今の6年生には感覚的に理解できない部分もあってか、細々としか声が出ない。
声が出ないのにはいくつか理由が考えられる。
まず思春期前期に差しかかっているための恥ずかしさ。クラスの人間関係。声を出す経験の乏しさなどなど。

そこであまり無理をせずに帰ってきた。
言われたことは素直にやるのだが、楽しいのか楽しくないのか表情からもあまり読み取れなかった。

ところが帰ってから数日して届いた手紙を見ると、結構心の中で楽しんでいたことが分かった。
私が行った授業も好意的に受け止めてくれたらしい。

そこで今度は私の方から声を出させるための指導をやらせて欲しいとお願いして四たび鎌倉を訪れた。

卒業式の練習のために体育館に集まった6年生に、私はまず卒業式は最後の授業であること。
6年間にこの学校で学んで来た全てのこと(話し方聞き方、歌、歩き方、立ち居振る舞いなど)
を出し切って、下級生やお家の方々やお客さんたちに見てもらおうということなどを話した。
そして呼吸、発声、朗読の練習を行った。
担任の先生方も熱心に聞いてくれて後の指導に生かしてくれたようである。

第18回

3 読みの苦手な子を班で応援

休憩の後、全体で学んだ方法を使って班ごとに「三年とうげ」の第二段落を群読することにした。

この読み方に興味を示した子どもたちはどの班も積極的に活動を始めた。
班によっては意見の分かれるところもあったが少しアドバイスをすると、どの班も熱心に活動に取り組んだ。

こうした学習態度はにわかにできるものではなく普段から担任の先生に育てられたものであろう。

さて大体できあがったところで二つの班に発表してもらうことにしたのだが、
いくつかの班が希望したのでジャンケンで決めることにした。

ところがジャンケンをした結果、前の時間で訥々とした読みをした子がいる班に当たってしまった。
困ったなと思ったが約束どおりその班に発表してもらった。

発表を聞いて驚いた。前の時間の読みと全然違っているのだ。
発表後の話し合いでもそのことが出て、その子はうれしそうだった。私もそれをうんとほめた。

後で担任の先生のお話とビデオを見て分かったのだが、実はこの班はこの子をやりたい役につかせ、
みんなで読みの練習を応援していたのだった。私は何よりもこのことに感動した。

表現の授業を成功させるためにはこうした人間関係が大切だ。
指導技術だけではなくお互いを認め合い支え合う人間関係ができているかどうかが成否を決めることになる。

また複数で読むという活動を通してこうした人間関係も育つのだと思う。
授業終了後研修会がもたれ、私はこれまでに学んできたいくつかの群読の方法を紹介したが
この時にもこのことを強調しておいた。

後日アンケートの結果が送られてきた。
回収27名(ア:非常に参考になった〜22名.イ:参考になった〜5名 ウ:あまり参考にならなかった〜0名)

・教科書を台本に作っていくようすがわかってたいへん参考になった。

・本をよむのが苦手な子が積極的に読もうとし、上達するようすを目の当たりにした。

・子どもたちのようすがとてもいきいきしていることに感動した。

・自然とリズムをとって音読している子どもたちの様子を見て、自然と大きな声が出る授業づくりは、
  私の努力でできるのかもしれないと思った。

・音読やみんなでひとつの作品を表現することの大切さを再認識した。

・とても楽しい授業だった。特に楽器を使っての音読は新鮮だった。

第3段落以後は担任の先生にお任せしたのだが、後日全編を通した発表の様子を写したビデオが送られてきた。

また二月に再度訪れたときには子どもの作った話もクラス全体で群読してくれた。
第17回

2 群読の授業をつくる
−「三年とうげ」(李錦玉作)〜3年−

2003年10月22日。参観者63名を前にしての公開授業。
まずは前々日の復習のことば遊びから始めた。「お経」(阪田寛夫)と「早口ことばのうた」(藤田圭雄)だ。
子どもたちは元気に声を出して読んだ。

そこで早速「三年とうげ」(光村図書3年上)の授業を始めた。
この作品はトルトリという少年の知恵が失意の老人に生きる意欲を取り戻させる明るく楽しい話だ。
また作中に出てくる歌や言い伝えのことばにリズムがあり、声に出して読むと楽しい。

担任の先生に事前に1時間指導しておいてもらったので、いきなり群読をするための授業に入った。
「この話を後ろにいる先生達に、みんなでお話してあげる方法を考えよう」と今日の課題を示した。
まず第一段落だ。

一回みんなで音読した後、最初の二行は何について書いてあるかを聞いた。
「三年とうげの説明」という答えが返ってきた。「じゃあ、そこだれか読んでくれる?」
「次の三行はどうだろう」と私が聞くと、「春のようす」と子どもたち。
「どんな花が咲いているの?」と言うと、「すみれ」「たんぽぽ」「ふでりんどう」「れんげつつじ」と子どもたち。
「どんな花か知ってる?」といって、植物図鑑を拡大コピーした物を見せて春のイメージを作らせる。
そしてその部分を次のように読ませてみた。

A「春には」B「すみれ」
C「たんぽぽ」E「ふでりんどう」
ABCD「とうげからふもとまでさきみだれました」
A「れんげつつじのさくころは、
だれだってため息の出るほど、よいながめでした。」

秋の景色の部分も同じように読ませ、言い伝えの部分は次のように読ませてみた。
A「三年とうげで 転ぶでない。」
B「三年とうげで 転んだならば、
三年きりしか 生きられぬ。」
C「長生きしたけりゃ、転ぶでないぞ。」
D「三年とうげで 転んだならば、
長生きしたくも 生きられぬ。」

さらにこの部分を調子よくリズムにのせて読ませるために、ウッドブロックをたたいてみた。
案の定子どもたちはリズムにのって楽しそうに読んだ。その後私はちょっとした失敗をしてしまった。
その次の説明の部分を読ませるときに、希望した子に当てたのだが実はこの子が読むのが
あまり得意でない子だった。大勢の参観者の前で訥々と読む様子を見てしまったと思った。
飛び込みで授業をやる時に一番気をつけなければいけないことをしてしまった。
下手をするとこの子は読むことにますます自信を無くしてしまう。
私が応援して何とか最後まで読み切らしたのだが、以来私はこういう場面での指名を
担任の先生にお願いすることにしている。
ところが次の時間思いがけない感動的な場面が待っていた。
第16回

〔5〕群読の授業をつくる

−「お経」(阪田寛夫)「三年とうげ」(李錦玉作)〜3年−

2003年9月。鎌倉市の教育センターから「授業づくり実践研修会」の講師依頼がきた。
「魅力ある授業づくりをするために、講師を学校に招き児童・生徒に実際に授業実践をしてもらって、
その後参観者と研究協議を行うもの」というのである。

授業日「10月22日」
場所「鎌倉市立七里ガ浜小学校」
対象「3年生の1クラス」
テーマ「群読の授業をつくる」
自分の勉強にもなるのでこの話を受けることにした。

@子どもたちと仲良くなるために

−「お経」(阪田寛夫)と「早口ことばのうた」(藤田圭雄)で遊ぶ−

10月20日。私は事前に子どもたちの様子を知っておきたいのと、子どもたちと仲良くなっておきたいのとで
事前授業に出掛けて行った。校長先生に案内されて行くと教室の前の廊下の天井から、
「ようこそ、刀禰先生」という看板が下がっている。

3年1組27名。にこやかな顔が待っていてくれた。
お願いして置いた名札もそれぞれの机の上にのっている。
私は授業をするとき必ず子どもの名前で呼ぶことにしている。
初対面のときでも、できるだけそうしている。そうすることで、子どもとの関係がより親密になれるからだ。

さて簡単な自己紹介の後、すぐに授業に入った。
最初は「お経」(阪田寛夫)だ。
   電車馬車自動車(でんじゃあ、ばあじゃ、じいどうじゃ)
  人力車力自転車(じんりき、しゃありき、じいてんしゃ)
  交通地獄通勤者(こうつうじいごく、つうきんしゃあ)
  受験地獄中高生(じゅうけんじいごく、ちゅうこうせい)
  合唱練習土曜日(がっしょう、れんしゅう、どうようび)
  空腹帰宅晩御飯(くうふく、きいたく、ばんごうはん)
  
「声を出して読んでごらん」というと、すぐに節をつけて読み出した。
そこで、これに木魚の音を加え、最後をトライアングルでチーンとやると、子どもたちはますますのってきた。

そこでクラスを二つのグループに分け、お互いに聞き合ったり、一列毎にだんだん読み手を増やしていったり、
輪唱のようにずらして読んだりした。

その後「早口ことばのうた」(藤田圭雄)〈やりかたは第12回のメール通信を参照〉や
「いろんな おとの あめ」(岸田衿子)〈第15回のメール通信を参照〉で群読を楽しんだ。
こうして子どもたちとすっかり仲良しになってから、本番の公開授業に望んだ。
第15回

〔4〕ことば遊びから群読へ(職員の研修)

二つの学校で授業を行った後、それぞれに職員の研修会が持たれた。

私は今なぜ声に出して読むことが大切なのかを話した後、これまでさまざまな場所で行って来た
授業や研修会の体験談を交えながら、先生方に実際に声を出して読んでもらった。

そうすることで子どもたちの気持ちも分かるし、その楽しさも体で分かってもらえると思ったからだ。
例えば次のような作品を取り上げてみた。

  ののはな 谷川俊太郎
A はなののののはな
  はなのななあに  
B なずななのはな 
  なもないのばな 

※A,Bふたつのグループに分け、互いに問いかける ように読んだり、答えるように読んだりする。

※AグループがAの部分を読んだら、Bグループが後から輪唱のように追いかけて読む。

いろんな おとの あめ 岸田衿子

A あめ B あめ
全 いろんな おとの あめ

C はっぱに あたって ぴとん
D まどに あたって ぱちん
E かさに あたって ぱらん  
F ほっぺたに あたって ぷちん
G てのひらの なかに ぽとん
H こいぬの はなに ぴこん
I こねこの しっぽに しゅるん
J かえるの せなかに ぴたん
K すみれの はなに しとん
L くるまの やねに とてん

M あめ N あめ O あめ P あめ
全 いろんな おとの あめ
(構成)刀禰佳夫

※雨の音を、何に当たった音かをイメージして、その物の質感を生かした音の表現を工夫する。

小・中学校の先生方ばかりでなく、朗読ボランティアの方々も参加しての楽しい、実のある研修会となった。
第14回

5『スイミー』(レオ=レオニ作、谷川俊太郎訳)を群読する〜2年

B校の2年生には『スイミー』の朗読の指導をして欲しいという要望があった。
音楽会に音楽劇として上演したのだが、その中にナレーションの部分があって、
これをどう指導したらよいのか分からなかったというのである。

そこで私はまず、授業の最初にこの音楽劇をやってもらうことにした。
初めての出会いの緊張から子どもたちを解放してやりたかったし、声出しの練習にもなるからだ。

本当は学年全体で上演したようだが、今回は私が授業をやるクラスの子どもたちだけでやるので、
他のクラスの子どもが語った部分は担任の先生が演じてくれた。

テープの伴奏にのって、子どもたちは実に気持ち良さそうにのびのびと歌った。

「すばらしい!」とほめてから、「今日はこのお話を後ろにいるお客さんたちに
みんなでお話してあげる勉強をしよう」といって授業に入った。

まず最初の話の切れ目まで、みんなで教科書(光村図書2年上)を音読した。
難しい字の読み方を確かめた後、今読んだ部分に何が出て来たかを聞いた。

スイミー、小さな魚のきょうだいたち、まぐろ、それに海という答えが返ってきた。
そこで、小さい段落の上に番号を付けさせ、一段落ずつ読んではその部分が
何について書いてあるかを確かめていった。

最初の段落『広い海のどこかに、小さな魚のきょうだいたちが、楽しくくらしていた。』
「ここは何について書いてある?」と聞くと、「海と小さな魚のきょうだいたち」と答える。

「じゃあ誰か海の所を読んでくれる人」といって、指名する。
「小さな魚のきょうだいたちは、たくさんいるからみんなで読もう」
こうしてスイミーのナレーター、まぐろのナレーターも決めていった。
そして一回役割ごとに音読させた後、私は次のようなアドバイスをした。

「本を持っていない後ろのお客さんたちにもこのお話が分かるようにはっきり読もう」
「スイミーの特徴はからす貝よりもまっくろなんだよね。それと泳ぐのは、だれよりも速いんだよね。
それが聞いている人たちにしっかり伝わるようにそこの所をていねいに読もう」
これで、子どもたちの読み方が変わった。
これは朗読の基本。大事な部分を強調するという読み方だ。

強調の仕方はいろいろある。音の強弱、高低、テンポ、間の取り方などなど。
しかし低学年の子どもたちには難しいことを言ってもかえって混乱を起こさせるだけだ。
そこで私はこれを「ていねいに」という言葉で言い表した。それで十分だと思う。

この調子で第二段落まで読み進め、役割を決めて朗読させていった。
この部分には出て来なかったが会話が出て来たら、その役の人物の気持ちを考えさせて
それを表現させることになる。

最後に全員立たせ、参観者の方を向いて朗読させた。本の持ち方。姿勢もこの時に注意した。
たくさん拍手をもらって、子どもたちはうれしそうだった。
第13回

4「山頂」(原田直友)を群読する〜6年

まずいっせいにこの詩を音読する。そして間違えやすい箇所の読み方を確かめる。

その後「だれか一人で読んでくれるかな?」と呼びかける。
すると、一人の男の子がさっと手を挙げた。

最初に「声を出して読むのが好きな人」と聞いたとき、すかさず手を挙げた子だ。
「じゃあ他の人は聞きながら頭の中にこの詩の情景を思い浮かべてみよう」と言って早速読んでもらった。
音読が好きというだけあって、なかなかうまい。

その後私は次のような質問をした。「作者はどこにいるのだろう」「そこには何人ぐらいの人がいるのだろう」
「そこにいる人たちがみんなで言っている所はどこだろう」「じゃあそこの所をみんなで読んでみよう」

全員で「おーい やっほう やっほう」「おーい」「おーい やっほう やっほう やっほう」と読む。

そこでさらに次のような問いかけをした。「みんなが立っているのはどのくらいの高さのところだろう。
3000m?1500m?500m?」
「そこからどこへ向かって呼びかけているのだろう。空?空中?それとも下の村?」
そうやってこの詩のイメージをみんなのものにしていったのだが、
それを声にしてみるとなかなかその感じが出ない。
そこでカーテンを開けて窓の外の景色を見えるようにした。
外には見事に晴れ渡った信州の山なみが見える。
「じゃああそこに見えるあの塔に向かって『おーい』と呼びかけてみよう」と声を届ける目標を定めた。
すると 見事に声が出た。

そこでさらに「この詩の中で作者以外の人が言ってもおかしくない所はないかな?」
「じゃあそこの所、だれか読んでくれる?」と言って何人かで読んでもらった。

ソロ1「学校が見える」
ソロ2「役場が見える」
ソロ3「お宮の森が見える」
こうして出来上がった台本に従って、作者、ソロ1、2、3、全員というふうに役割を決めて読ませた。

その際、晴れ渡った山頂に立った時の爽快感を感じながら読むように注意した。
こうして「山頂」の群読が出来上がった。

授業終了後、参観者からは次のような感想をもらった。
「群読というと堅いイメージがあったが、こういう群読もあるんだということが分かった」
「みんなで作り上げて行く過程が見事だった」

さて、B校の6年生に同じような授業をやってみたが反応は全く違った。
「早口ことばのうた」の方は結構のってきたが「山頂」の方はあまり楽しそうではなかった。
このクラスは普段は女の子が元気がよくクラスをリードしているということであったが、
声を出して読む体験は少なく、最初に聞いて見た時も音読が好きと答えた子はゼロであった。
やはり日頃の積み重ねが大切なのだと思う。
第12回

3「早口ことばのうた」で群読の感じをつかむ〜6年

6年生、34名。うちブラジル国籍の子ども1名。
3年生に比べると体も大きく、教室に入った瞬間はちょっと圧倒される。
このクラスは担任の先生が「声に出して読む」活動に関心を持っていて、子どもたちもいくつかの
ことば遊びを体験しているという。

そこでその中から「早口ことばのうた」(藤田圭雄)を選んで、
複数で読む場合の一つの方法を体験してもらうことにした。

まず「君たち、早口ことばって知ってる?」と聞いてみた。
いくつかの手が挙がったので、何人かに言ってもらった。
「その早口ことばを詩にしてしまった人がいるんだよね」と言って模造紙に書いた詩を掲示する。

「今、君たちが言ってくれた『生麦、生米、生卵』もこの中にあるね。じゃあ、みんなで三回ゆっくり言ってみようか」
「今度は調子よく三回」と練習した後、「じゃあ、その前にある四行。
『早口ことばを知ってるかい』
『おやゆびしっかりにぎりしめ』
『くちびるじゅうぶんしめらせて』
『あたまをひやしてしゃべるんだ』
の部分はだれか、一人ずつ読んでくれないかな。そうしたらみんなでそろって
『生麦、生米、生卵』と続けよう」

一回練習してみると、ソロから群に移るところがテンポがゆっくりになってしまい、
声の調子も勢いがなくなってしまう。

そこで「みんなで言うところはそろえようと思わないでいいから、前を読む人のテンポとリズムに合わせて
全員が思い切って読んでみよう」と呼びかけた。すると読みにリズムと勢いが出てきた。
その調子で二連と三連も読ませてみた。
ソロ1「むずかしそうだがなんでもない」
ソロ2「おへそにちからをいれるのさ」
ソロ3「ほっぺたよくよくもみほぐし」
ソロ4「あおぞらみつめてしゃべるんだ」
全「交響曲 歌曲 協奏曲」
ソロ5「だれなのみてたのきいてたの」
ソロ6「れんしゅうちゅうだよだめですよ」
ソロ7「ひとりじゃてれるよまごつくよ」
8・9「ふたりでなかよくしゃべろうよ」
全「消防車 清掃車 散水車」

8と9を二人で読むようにしたのは、詩の内容から考えて無理がないと思ったし、
そこで変化をつけたかったからだ。

こうして一通り最後まで読んだ後、「このように一人で読んだり、二人で読んだり、みんなで読んだりする読み方を
群読っていうんだよ。」と説明した。

そして次に聞き手を意識して呼びかけるように読むために、次のような新たな課題を与えて読ませてみた。
「今度はね、これを1年生に教えてあげるように読んでみよう」

群読とは複数の読み手による朗読。そして朗読とは作品の世界を聞き手に届ける活動であるということを
体験を通して知って欲しかったからだ。
第11回 

2「夕日がせなかをおしてくる」(阪田寛夫)を群読する〜3年

この詩はかつてよく歌われたこともあって有名な詩であるが、現在三社の教科書に掲載されている。

難解な語句もなく、イメ−ジしやすく声に出して読むのにふさわしい詩である。

さらに太陽と子どもたちの会話になっている部分があるので、群読するのにも適している。

私はまず、この詩の一連と二連を模造紙に書いたものを掲示した。
そしていっせいに音読させた後、どんな景色が頭に浮かんでくるかを聞いた。

「夕日が沈みそうになっている」「後ろから押してくるような感じ」という通り一遍の答えしか返ってこない。

そこで「色は?」と聞いて見ると、「赤」「オレンジ」「黄色」「赤と黄色が交じったような色」と
いろんな答えが返ってきた。

さらに「子どもは何人ぐらいいるのかな?」「どんな様子かな?」などと聞いてみると、
どんどん手が挙がり始めた。

そこで「太陽が言っている所はどこだろう?」と聞くとすぐに答えが返ってきたので、
「じゃあ、そこを、1班から3班までの人たち太陽になって読んでくれる?」と言って一斉に音読させてみた。
ところが遠くから呼びかける感じが出ない。

そこでさらに「太陽ってどこにあるの?」「だれに言っているの?」と聞くと、「宇宙」「子どもたち」 と言う。
「じゃあ、宇宙から遠くにいる子どもたちに向かって呼びかけてみてくれる?」と言って、
椅子の上に立たせて読ませてみた。
するとようやく語尾をのばして呼びかけるような表現ができるようになってきた。

今度は「子どもたちの言っている所はどこだろう?」と聞いてみると、いくつかの答えが返ってきた。
答えた子どもにその部分を読んでもらうと、自然に台本ができあがってきた。

そこで「子どもたちは太陽と最初から向き合っているのかなあ?」と聞くと、「最初は背中を向けて歩いていて、
呼びかけられてから振り向く」と子どもたちは言う。
「じゃあ、そうやってみよう。」と4班から6班の子どもたちに子どもが言う部分を足踏みさせながら読ませ、
途中から振り向いて言うようにさせてみた。

だんだん調子が出てきた所で、「ところで太陽と子どもたちは仲がいいのかなあ。
それともケンカしてるのかなあ?」と聞いてみると、意外なことに「ケンカしている」と答えた子どもたちが
半数ぐらいいた。「ぼくらも負けずどなるんだ」とあるからだと言う。

残念なことに、ここで時間が来てしまった。私はおみやげとして持っていったプリント(これには歌用に
書かれたという三連ものせておいた)を配り「この続きは担任の先生とやってね」と話して授業を終えた。

別れのあいさつをするとたくさんの子どもが寄ってきて握手を求めてきた。
多分授業を楽しんでくれたのだろう。

第10回

  〔3〕群読を生かした授業

ー2年「スイミー」 3年「夕日がせなかをおしてくる」 6年「山頂」−

長野県茅野市の二つの小学校で、授業をやらせてもらう機会を得た。

この市では新生児に母親が子どもに読み聞かせをすることを前提に本をプレゼントし、4か月検診のときに、
同じ条件でもう一度本のプレゼントをするという活動を始めて6年になるという。

さらにこの市では全ての保育園・幼稚園で朝の30分を絵本の時間に充てるようになり、
小・中・高等学校の全学校全学級で「朝の読書」が実施されるようになったという。

今回私が招かれたのは、この活動をさらに一歩進めて、子ども自身が「声に出して読む」活動に
発展させたいという意図があってのことだったようである。

そのきっかけをつくるために私に二つの小学校で群読の授業をして欲しいということであった。

 1「寿限無」で遊ぶ〜3年

まずA校の3年と6年。6年生の方は少しことば遊びなどを経験しているが、
3年生の方はほとんどやっていないという。
そこでわたしはこの学級でまず、「寿限無」をやることにした。これなら今全国的に広がっているし、
子どもたちも喜んで声を出してくれるだろうと考えたからだ。

初めて出会う子どもたち。少し緊張ぎみだったが、聞いてみると案の定全員が知っていた。
そこでまずは全員で覚えている「寿限無」を暗唱してもらった。

なかなかのびやかなよい声が出ている。そこで用意して行った「寿限無」の全文を黒板に掲示した。

子どもたちは耳で聞き覚えたためか 「あー。漢字だー。」とちょっとびっくりしていた。

そこで全員でもう一度これを音読してもらった。そして「これは何なの?」と聞いてみた。

すると人の名前だという答えが返ってきた。「何でこんなに長い名前がついたの?」と聞くと
その訳もよく知っていた。

そこでこれは落語であって、そのオチはこうなんだよと話した。

その上で子どもたちを二つのグループに分け、片方を子どもグループ。
もう片方を寿限無のお父さんということにして、演技させてみた。

私が寿限無になって子どもグループの頭をウッドブロックでぽかりとたたくまねをする。
子どもグループが「エーン」と泣く。すかさずお父さんグループが「どうしたの?」と聞く。
子どもグループ「おじさんちのじゅげむ、じゅげむ…が頭をたたいたの」
お父さんグループ「どれどれ?」
子どもグループ「あんまり、名前が長いのでこぶがひっこんじゃった」とやる。

このころにはすっかり緊張もとけて、子どもたちも打ち解けてきた。
そこでこの時間のメインの教材である「夕日がせなかをおしてくる」の授業に入って行った。

第9回(特別編)

「自分たちで台本を作り群読をする」−「めっきらもっきら どおんどん」(長谷川摂子作)=2ねん−

2005年1月19日。東京・新宿区立戸塚第一小学校ですばらしい授業を見せてもらった。

これは新宿区の教育研究会、教育文化部が1年間の研究の成果を発表するために行った授業である。

まず28人の子どもたちが実にのびのびとして明るい。

70人ぐらいはいたと思われる参観者の前で、ごく自然に話し合い、読み、演技する。
教材は「めっきらもっきら どおんどん」(長谷川摂子作)。

これがまた2年生の子どもたちの心をとらえる楽しい話なのだ。

友達を探しに行った「かんた」という少年が三人の愉快なばけものに出会い楽しく遊ぶのだが、
「かんた」が「おかあさーん」と叫ぶと三人のばけものはどこかへ消えてしまう。

この話は2005年度から使用される光村図書の2年生の国語教科書に紹介されている話の中の一つだ。

福音館書店から発行されている絵本のふりや ななさんの絵がまたダイナミックで楽しい。
だから子どもたちは何回読んでもあきなかったという。

これを役割を決めて何人かで声に出して読む。時に動作をちょっとつけたりもする。
クラスを二つのチームに分けてそれぞれが演じ、お互いの発表を見て感想を話し合うという授業なのだ。

わたしが感心したのは、表情豊かに演じる子どもたちもだが、発表するまでと発表後の話し合いが
ごく自然にスムーズに行われたことだ。

実は6月にわたしはこのクラスへ行って授業をしている。このときは「スイミー」(レオ=レオニ作 谷川俊太郎訳)を
複数で声に出して読むという授業だったのだが、その時はわたしがリードして授業を進めた。

その後担任の先生は10月に「おてがみ」(アーノルド=ローベル作、三木卓訳)=光村図書発行、
国語教科書2年下掲載、をグループで群読し、11月には「三まいのおふだ」(松谷みよこ作)を
グループごとに台本を作って練習し、保護者や3年生に発表したという。

こうした経験が子どもたちを育て、先に述べたような学習を成立させたのだと思う。

授業公開の日には、それぞれのチームがグループごとに練習してきたお話を全部通して読むためには
どうしたらよいかという話し合いから始まったのだが、14人で話し合うという活動を2年生が見事に
やってのけた。そして話し合ったことを生かして14人で群読を演じたのである。

友達と関わることが苦手だという今の子どもたちが2年生でこういう活動を成立させたということに
多くの参観者が称賛を惜しまなかった。

それは6月からの積み重ねがあったこと、役割を決めて声に出して読むという活動が子どもにとって
魅力的であったこと、さらにそれを発表して聞いてもらうという経験が子どもをここまで育てたのであろう。

もうひとつ教材が魅力的であったことも見逃せない。担任の先生の指導の力が大きかったことは言うまでもない。

第8回

3.音楽会に向けての全体練習

以下は後日送っていただいた音楽会に向けての担任の先生方の実践の様子である。

「各クラスで練習した次の週から、学年全体の練習が始まった。

全員で詩を通して読む練習を2回ほど行った後、パートに分けての練習に入った。

大勢で読むという経験が初めてだったので、他のクラスのパートにつられてしまったり、
ソロの部分を言ってしまったりという間違いが続いたが、1週間もするとすっかりパートが定着してきた。
動物たちの動きは、各クラスで考えた動きをそのまま使った。

最後まで指導が必要だったのは、語尾に力が入ってしまうのを直すことだった。

各クラスで練習する時には『まんげつ』の『まん』の部分を少し強めに読む、
満月が出て来たときの感動を考えて読む、パネルシアターの月の様子を思い出す、などの注意を繰り返した。

全員で練習するときは、上手に読めたクラスをお手本にしたり、お互いに聞き合って良かったところを
発表してもらいながら、少しずつ癖を直して行った。

語尾の癖が直ってきてから、連と連の間の取り方を指導した。
初めは教師が手をたたいて間をとってみたがうまくいかず、心の中で1、2、3と数える方法に変えたところ、
息が合ってきた。

『まわりの友達の呼吸を感じて声を出してみよう』というアドバイスをすると、さらに間の取り方が上手になった。
発表前1週間の上達ぶりは、目を見張るものだった。

連と連の間の取り方、まわりの呼吸を感じて声を出すこと、動物たちの動きを大きくすることなどなど、
担任の投げかけを子どもたちはどんどん吸収していった。

あと1週間というプレッシャーがいい形となっていた。

歌と合奏の間に群読を入れることで、学年全員の呼吸が合い、発表全体がぴりっと引き締まるまでに
なっていった。」

音楽会の後の保護者の皆さんの次のような感想も書き添えてくれた。

・音楽会といっても歌や合奏だけでなく、呼びかけみたいなものがあったのもおもしろかった。

・歌も合奏もとても上手でした。山の音楽家の時、一人ずつ言葉を言うところがありましたが、
皆大きな声でしっかりできているすがたに感心しました。

・1年生なので「まだそんなに…」と思っていたのですが、しっかりまとまって、素敵でした。
心地よい緊張感も見ていてすがすがしかったです。

・「ひかるまんげつ」の朗読がとてもよかったです。子どもたちが一生懸命に取り組む姿をみることができ
うれしく思いました。

先生方の苦労と努力は見事に実を結んだと思う。4名の先生方に大きな拍手を送りたい。           

第7回

音楽会での群読
 
さて、音楽会当日。最初に授業をした日から約1カ月が経っていた。

120人の1年生がステージいっぱいに並んだところは壮観だった。
まずは最初の歌「赤鬼と青鬼のタンゴ」。

赤鬼と青鬼をイメージしてのことだろう。全員が赤か青のシャツを着ている。
大勢の上級生を前に、萎縮するどころか大張り切りの一年生たちは、
のびのびとリズムにのって楽しそうに歌った。

つづいて「ひかる まんげつ」の群読。

「まだかな」「まだかな」「まだかな」「まだかな」と4人のソロから始まった。
出だしはよく声が通って気持ちがよい。
それに続く全員でコールする部分「みんなどきどき」も見事にそろった。

1組さんだけがコールする部分「こねずみは ひげをぴこぴこ」の部分は
みんなで口の横に手を広げて4本の指をぴこぴこと動かす。

「こだぬきは しっぽのていれ」の部分は2組さん。
しっぽの手入れをする所作をする。

「こうさぎは たんたかおどり」は3組さん。その場でおどけて足踏み。

「こぎつねは でんぐりがえる」は4組さん。手を前に広げておじぎをするような所作。

そして「しずしずと のぼるつきかげ」のところでは背景に大きな月がゆっくりと上った。
問題の最後の部分「こよい ひかる まんげつ」の語尾の強調はあまり気にならなかった。

そして次の「山の音楽家」の合奏へと移って行った。

このようにして120人の1年生による詩の群読は見事にできあがった。
練習は大変だったかも知れないが1年生たちは呼吸をそろえて楽しそうに演じていた。

音楽会が終わってから、実際に指導された先生方から次のような感想をいただいた。

「1年生でどこまでの群読ができるか、正直不安で、指導も4名の担任は相談を
繰り返しながら手探りの状態だった。

子どもたちに読み方をつかんでもらうまで、言葉や手法を変えながら完成させていったが、
それが私たちにとってとても勉強になった。

1年生だからという枠組みを作っていたのだが、間違いだったような気がする。
手順をふんで指導していけば、1年生でも教師が期待した以上の群読ができることが分かった。

群読の練習をしてから、子どもたちが『読む』ということに対して楽しさを覚えてくれたように感じる。
日頃の国語の学習でも『この雨音はどういう声で読んでみようか。』というと、
すぐに声に出して反応がかえってくる。

2月には全校の前で『学年発表』をする予定があるが、そのときにはまた群読に取り組んでみたい
という思いが担任一同にある。
どんな詩で、どんな台本にしていくかこれから考えていくが、音楽会の時よりも成長した姿が
期待できるのではないだろうか。」        

第6回

各クラスでの授業

これから先は担任の先生に授業をしてもらって、私はそれを見させてもらった。

まずいちど全員で詩を読む。1年生は初めてだとなかなかすらすらとは読めない。
あらかじめ詩を渡して置いて、家で音読の練習をさせてきた方がよいことが分かった。

次にどんな動物が出てくるかを聞く。これはすぐに答えが返ってきた。
子どもたちの答えにそって、こねずみ、こだぬき、こうさぎ、こぎつねの絵をパネルに張って行く。

これには子どもたちも興味を示した。

次に動物たちはどこにいるかを聞く。これもすぐに答えが返ってきた。
そこでパネルに草むらや、山の絵を張り野原の雰囲気を出す。

次に動物たちは野原で何をしているのか。どんな気持ちでいるかを聞く。
どきどきしながら月が出てくるのを待っている、と言う答えが返って来る。

そこで、台本にそって、第一連を音読させてみる。予想していたよりは声をそろえるところもうまく読める。

今度は第二連だ。
一列はこねずみ、二列はこだぬき、三列はこうさぎ、四列はこぎつねと役を決めて読むようにさせる。

一人が「こねずみは」と読むと一列の子どもたち全員で動作をしながら、「ひげをぴこぴこ」と読む。

以下同じように二列、三列、四列と続ける。

「でんぐりがえる」のところは、本当にでんぐりがえるをする子どももいたりして楽しそうだ。

中にはちょっとはずかしそうな子どももいた。第三連は希望する子どもに一行ずつソロで読ませた後、
「ほんのり」「しずしず」ということばの意味を考えさせた。「ほんのり」とはどんな感じなのか。
「しずしず」と上るというのはどんな上り方なのか、パネルの上に月をすべらせながらイメージをつかませた。

こうした学習をするときには、パネルシアターというのは実に効果的だ。

そして最後。全員で「こよい ひかる まんげつ」と読む。

ところがこの部分を読むとき語尾に力が入る。小学生、特に低学年の子どもたちにいっせいに文を
読ませるとこうなりがちだ。

授業後の話し合いでそれを改めさせるにはどうしたらよいかが 話題になった。

「みんなで待っていた月がとうとう出てきた」という時の気持ちを考えさせて、
その時の感動を表現させることが大切なのではないか。
ということになったが、音楽会の本番までこの読み癖はなかなか直らなかったという。

こうして、各クラスで練習した後、今度は学年全体が集まって合同の練習をすることになっていたが、
残念ながらその練習を私は見ていない。

1年生120人の練習はさぞや大変だったことと思う。


第5回

〔2〕音楽会に生かす群読

ー「ひかる まんげつ」(『のはらうた』〈くどうなおこ〉より)−

音楽会に歌と合奏をやるのだが、その間に群読を入れたい。
どんな詩をどんな風に読ませたらよいだろうか。という相談があった。小学校1年生だという。

どんな曲をやるのか聞いてみると、歌は「赤鬼と青鬼のタンゴ」、合奏は「山の音楽家」だという。
歌の方の歌詞を読んでみると、赤鬼と青鬼が月夜の晩にうかれてタンゴを踊っているという
調子の良い楽しい歌だ。

合奏の方は山の動物たちがバイオリン、ピアノ、フルート、たいこを演奏するというかわいらしい曲で
これを手作り楽器などを使って合奏するという。

そこで思いついたのが『のはらうた』(くどうなおこ)の中に出てくる「ひかる まんげつ」という詩だ。
内容はぴったりだと思うが、問題はこれを120人の1年生にどう読ませるかである。
担任の先生方に集まってもらってどう読ませるかを相談した結果、つぎのような台本ができあがった。

( A,B,C,Dがそれぞれソロで) まだかな  
(全員で)  みんなどきどき
(1・2組全員で)  のはらでは つきまつこころ
(3・4組全員で)  みちみちて そらをみあげる
 
(E)  こねずみは  (1組全員)  ひげをぴこぴこ  〈動作をする〉
(F)  こだぬきは  (2組全員)  しっぽのていれ  〈動作をする〉
(G)  こうさぎは  (3組全員)  たんたかおどり  〈動作をする〉
(H)  こぎつねは   (4組全員)  でんぐりがえる  〈動作をする〉

(I)  しらぬまに ひがしのそらが
(J)  ほんのりと ひかりはじめて
(K)  しずしずと のぼるつきかげ
(L)  いちめんに のはらをてらす

(全員で)  こよい ひかる まんげつ

 さあ、これを120名の1年生にどう読ませるか。
1年生には難しいことばもある。まずはクラスごとに授業をしてもらうことにした。

第4回

3 初めて群読を授業に取り入れて感じたこと

後日、担任の先生から、次のような感想が送られて来た。教師になって3年目の若い先生である。

「私にとって国語の物語文が最もやりにくい授業であった。そんなとき群読の授業に出会った。
群読の授業は、じつに多彩だった。

班での話し合い活動、コの字型の机配置、動作化を取り入れた読み取り、教科書にどんな気持ちで
読むのかを書き込む、などなど。

発表の時には、聞いている子は感想をいったり、アドバイスをしなければならないのでボーッとできない。
子どもたちはやるべきことが明解なので生き生きとしており、元気いっぱい楽しんでいた。

研究授業後数日して、私の中で一番の変化が起きていた。わかりづらいことを理解させる時、
説明することを自然にやめていた。

まず、子どもたち自身に動作化させたり話し合わせたりしていて自分でも驚いた。
子どもたちもわかりやすかったようで、自信が持てた。
当初、2年生でどこまでできるか不安だったが、子どもたちの順応性は早くすぐに楽しんでいた。
それからは、低学年だからなんて思わずいろんなことをやらせてみるようになった。

コの字型で授業する際、単に真ん中のスペースだけを使うのではなく、前も隅もすべて使って
ダイナミックに子どもたちを動かせるようになった。低学年にはお面や小道具が非常に有効であることも知った」

また子どもたちの様子については次のようなことを知らせてくれた。

・みんなで気持ちを一つにして読むことの心地よさを体感した。

・発表をしたいので、何度も読むことが苦にならず、楽しんでいた。覚えてしまうほど読み込んでいた。
日常の場面でも、パロディーにしていた。

2年生でも、話し合いながら役割や読み方を決めることができた。

・班ごとに工夫をしていた。ひたすら練習回数をこなす班。入退場に気を配る班。読む番の子だけ
スッと立ち上がる班。苦手なお友達のために、励ましあいながらゆっくり練習する班などなど。

・わかりにくい場面では、動作化を使って理解できた。

・登場人物のお面をつけることで、なりきりやすかった。

・全員がやる気いっぱいで、なんども練習をしたがった。

・お友達の発表に対するアドバイスや感想を発表できるようになった。

・お友達の発表を見て、いいところをまねするようになった。

・『きつねのおきゃくさま』をやるとわかっただけで、「やったー」「こういうのだったら楽しいんだよね」と
歓声をあげるほど、群読の授業が好きになった。
第3回

2 第二場面を班ごとに役割を決めて読む

第二回で述べたような活動の後、今度は同じ場面を班ごとに、きつね、ひよこ、あひる、ナレーターの役を決め、
声に出して読む練習を行った。

すぐに練習が始まる班もあれば、やりたい役が重なってもめごとになり、なかなか練習に入れない班もある。
そういう班には2回目の練習の時には役を変えてやってみようとアドバイスする。

練習の後、時間が足りなくなると思ったので、この日は二つの班だけ発表してもらうことを予告しておいた。

参観していた先生方も応援してくれて各班の練習に熱が入る。班で読む活動の前にからだを使って読む
学習をしておいたために、この場面のイメージがとらえやすかったのか、どの班も声に活気がある。

練習時間はやや少なかったが、適当なところで練習を打ち切って発表の希望を聞くと、どの班もいっせいに
手が挙がった。私はこの「発表」という活動を大切にしたいと思っている。

人に聞いてもらうことによって子どもは精一杯自分の力を出し切ろうとするし、そのことによって子どもの力が
飛躍的に伸びることがある。

私は昨年、鎌倉で行った授業で、練習中に班の子どもたちが読みの苦手な子を応援して、一時間のうちに
その子の読みが劇的に変わったという感動的な場面に出会ったことがある。

(もちろんこれは普段から子どもたちの人間関係に気を配り支え合う関係を育てて来た担任の先生の力に
負うところが大きかったと思うのだが)

さて発表後の話し合いだが、できるだけ一人一人の良いところを見つけさせるようにしている。
友達に認められることによって子どもたちはさらに自分の力を伸ばそうとするようになるし、
暖かい人間関係を作ることにもなるからだ。この日の話し合いでも何人かの子どもがほめられて嬉しそうだった。

この日は時間が足りなくなりそうだったので発表は一つにして置こうと思ったが、
子どもたちは残念そうだったし担任の先生もぜひやって欲しいというので、時間を延長して行った。

こうして私の一時間だけの授業は終わったが、その後、各担任が同じようなパターンで授業を進めてくれた。
今までにない活気のある授業になったと喜んでくれたが、なかでも次の話が私の印象に残った。

最後の方の場面で「いや、まだいるぞ。きつねがいるぞ。」というせりふが出てくるのだが、
このせりふはだれがいったのか意見が分かれたのだという。
そこでこの場面を実際にからだを動かして読んでみたところ、これがきつねのせりふだということに全員が
納得できたというのである。

授業終了後クラス全員で役割を決め授業参観の時に発表したところ、保護者の方々にも、大変喜ばれたという。
第2回

1「きつねのおきゃくさま」第二場面の指導の実際

 まず担任の先生に最初の2時間を扱ってもらい、私は3時間目をやらせてもらうことにした。
1・2時間目にやっておいてもらったことは次のような内容である。

 *全文を読み、あらすじをつかませる。新しく出て来た漢字の読み方の指導。
 *第一場面を読み、きつねとひよこの気持ちを考えさせる。
   会話の部分をそれぞれの気持ちが表れるように声に出して読む。(隣りどうし)

 さて子どもたちとの顔合わせの日。私は簡単な自己紹介の後、早速第二場面をめいめい声に出して
読ませた。第二場面とは、散歩に出かけたひよこの後をつけて行ったきつねが、ひよことあひるの会話を
かげで聞く場面である。頃合いを見計らって私は次のような質問をした。

 *第二場面には誰が出てきたか。
 *ひよこ、きつね、あひるはそれぞれどんなことをしたか。

 そしてそれぞれの動物たちが話したことばの上に動物たちの名前を書かせた。
 次に机をコの字がたに並べた真ん中のスペースを野原に見立てて、きつねの家、あひるの家、ひよこの
散歩コースの場所を設定した。きつねの家には長いすを置きそこにきつね役とひよこ役の子どもを座らせた。
役は希望で決め、ひよこ役のAちゃんと、きつね役のB君にそれぞれの行動についてたずね、散歩しながら
歌う春の歌を何にするか聞いた。
 するとAちゃんはしばらく考えた末、「一年生になったら」がいいと答えた。ところが教科書を持って
散歩を始めると、はずかしさのせいかか細い声しか出ない。そこで他の子どもたちに呼び掛け、
みんなで「一年生になったら」を歌って応援してもらった。

 きつね役のB君はというと、ひよこの後にぴったりついて歩く。そこでもう一度教科書を見させて
「きつねはそうっとついていった」の部分に着目させると、途端にB君の歩き方が変わった。

 あひるは廊下に待機し、後ろの出入り口から登場。そして真ん中の野原で出会ったひよこと会話する。
会話は教科書を持ったままそれを読ませた。きつねにはその間の行動を確かめさせ、二人の会話に
出てくる「親切なきつね」ということばを五回つぶやくようにさせた。

 見ている子どもたちも、地の文を読んだ。お話を進める人をナレーターというのだということをこの時に教えた。
3人の動物以外の子どもたちはすべてナレーター役になった。
第1回

 小学校の教職生活を定年退職してから8年余りが過ぎた。日本演劇教育連盟の常任委員になってから、
25年ほどになる。

 現職中から取り組んで来た子どものための朗読・群読指導の資料もずいぶんたまった。幸いなことに
以前から活動を共にして来た仲間たちや、私の関わって来た講座の受講者からの依頼もあり、現在も
小学校の授業をやったり、研究会に呼ばれたりすることがある。それらの体験を私一人の胸の中に
しまっておくのはもったいない気がするので、これからしばらくの間、私の経験してきた朗読や群読の
指導について書いてみたいと思う。

(1)「きつねのおきゃくさま」(あまんきみこ)の場合
    −江戸川区立清新第一小学校

 最近「コミュニケーション能力を高めるために」をテーマにして校内研究を行っている学校が多いように思う。
子どもの引き起こす事件の多くが、人とのコミュニケーションの取り方に起因していることを思うとき、それは
当然の成り行きといえるだろう。

 この学校でも国語の授業を通してそれを追求していきたいということで、私に相談があった。
その研究授業を2年生がやることになり、教材として、教科書(教育出版2年下)に掲載されている
「きつねのおきゃくさま」(あまんきみこ)を取り上げたいというのである。

 この作品はひよこやあひるなどをもっと太らせてから食べようと、自分の家に呼んで育てている内に情が
移り、ついにはその小動物たちを守るためにおおかみと壮烈に戦って死んでいくきつねの物語である。
文体は「語り」の口調になっており、声に出して読んだり、からだを動かしながら読んだ方が子どもたちも
楽しいし、作品をより深く理解できるのではないかということであった。私もこの考え方には賛成だったので、
協力することにした。

 早速、担任の先生の作った指導案を見せてもらったが、どうも従来の読み取りを中心にした授業の
形から抜け切れていない。そこで私ならこうするという案を示したところ、私に実際に授業をやって
見せてほしいということになった。現職を離れて直接子どもと接する機会がなくなってしまった私にとっても
得難い機会になると思い、これを引き受けることにした。